『リベラル』三本勝負

  オッサンが、「ぼくはリベラルだ」と言うとき

①《何者かに強制されるのを嫌い、自分の自由な価値観が行動や考え方の根本にある》とか②《偏見や差別などから遠いところにいる》③《侵略や戦争を嫌う平和主義》

この辺りを表現したいのだろう。

  今年度から、小学校で「道徳」が教科となる。教科に格上げされるのだ。通知表で評価されるようになる。僕はやや異和感を覚える。一体〈誰〉が、〈何〉を〈どう〉教えるのだろうか。ーーー実に答えは簡単だ。〈学級担任〉が〈教科書〉を〈指導要領通りに〉教えるのだ(笑 ) 異和感はまさにそこ! 実は僕は、日が暮れる前にどこからともなくしっかり流れる放送「◯時◯分です。よい子はおうちに帰りましょう」にもイワカンを感じてしまう。よい子かそうではない子かを練馬区が決めているようだ。練馬区のどなたかはわからないが、閻魔大王の手下が、ポンポンとハンコをつくイメージが浮かぶ。いつの間にか僕は、上の①のリベラルになったようだ。

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 IMG_2749日本の政治の世界で『リベラル派』という。または「◯◯議員はリベラルだ。」と。この場合は〈保守派〉に対峙した立場という意味で使われる。                      もともと、過去の伝統や体制を保持し続いていくことを積極的に認める『保守』、それに対抗し、過去の因習から脱却し、現状を改革すべきだという『革新』がある。フランス革命の頃の議会で、議長席から見て右側に王党派、左側に民主主義派の議員の席に座ったところから〈保守派=右派・右翼〉〈革新派=左派・左翼〉なのだ。時にタカ派、ハト派にも変わる。日本でこの『革新』は、天皇制の解体や自由競争で生じる貧富の差を無くそうという共産主義革命に向かっていた歴史がある。保守〈自民党〉v.s革新〈社会党・共産党〉であった。もはや旧くなったこの『革新』を革新して(笑),『リベラル』が使われる。およそ『リベラル』は資本主義、議会制民主主義を前提とし、個人の自由を保障し、護憲、安保反対‥‥、となる。もちろんリベラルでも左より右よりがある。(????)

保守派 憲法改正 安保保持 など
革新派→リベラル派 護憲・安保反対など

これだと、旧きを守る『保守』が現行の憲法を〈改正〉し、革新のイメージの『リベラル』が現行の憲法を〈保守〉すると、まったくことばのイメージとは正反対になってしまう。現行の憲法第九条の〈戦争放棄〉に固執するのがリベラルであると考えれば少し納得できるのかもしれない。そう、保守の自由民主党は「Liberal Democratic Party」と表記される。(???)

 とにもかくにも、政治世界で使われる『リベラル』は、文脈の中で政治家に都合いい意味で使われる曖昧なことばである。相手にしても不毛なだけだ。笑

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  お次は『リベラルアーツ』。ここのところ大学のwebページを賑わす言葉だ。リベラルアーツ画像
 リベラルアーツ教育の大御所、老舗のICU(国際基督教大学)は有名だ。入試も独特である。鳴り物入りで2004年に登場した秋田県の国際教養大学、そして早稲田大学国際教養学部、上智大学国際教養学部、そして最近もリベラルアーツ教育やプログラムを導入した大学が相次ぐ。立命館アジア太平洋大学、東京女子大、立教大学、そして東工大‥‥。それは岐路に立つ日本において人材育成を担う大学教育のパラダイムシフトの相言葉にも聞こえるし、少子化時代に生き残る大学の戦略用語としても響く。カタカナは怪しいのだ。
『リベラルアーツ』とは、元来、ギリシャ・ローマ時代に整備された学問「自由7科」(文法、修辞、弁証、算術、幾何、天文、そして音楽そしてこれらを統合するのが哲学) を指し、これらは奴隷に対する自由人としてもつべき教養であるとされ、さらに中世の大学の時代に学ぶべき学問となったものだ。リベラル(自由)を希求する教養人のアーツ(技術、手法)に起源をおく。    これが2000年の時をまたいで現代にやってきた。
  東京大学の「進振り」はよく知られている。理科I〜III、文科I〜IIIと大まかな類で募集し、2年生までに教養科目を幅広く学び、3年次に法学部、経済学部、文学部や理学部、工学部、農学部、医学部等自分の専門を選択できる仕組みだ。この前期課程東大のリベラルアーツ教育といえる。確かに受験に追われる高校三年間で、専攻する学部を決定するには無理があるり、選択のための模索の時間は必要だ。

   なぜ今リベラルアーツなのか?東工大のリベラルアーツ研究教育院の上田先生の話がわかりやすい

 リベラルアーツについて知る(東工大リベラルアーツ研究教育院長 上田紀行教授

  ある事象を解析したり、問題解決をする上で、単一の専門的な知識より複合的に観察できる資質が必要だということだ。それだけ現代の問題は、多くの要素から多元的、多層的に構成されている。だから、法律、経済といった枠にとらわれず、理系・文系といった旧来の仕切りも取り払って、横断的で広汎な教養が必要になる。そしてさらに、受験に関係ある科目しか勉強していない生徒、そして大学のどの学部で何を勉強するかもわからずに学部を決めて入学するという現実から引き戻し、教養の府としての大学の役割を改めて担う決意がリベラルアーツ教育なのだ。そういったリベラルアーツ教育、そしてコミュニケーションに支障のない英語力、そして留学や留学生との交流など、世界のグローバル化の中で、鎖国を解くこの国が求める人材の一つの新しいスタンダードが提示されているといえよう。広く知性と教養を身につけて、異文化で活躍するリーダーシップをもつスーパーバイザー、または視野の広い世界で通用するスペシャリスト、そんな人物像が浮かぶ。

 「先生、僕は文系なので数学は無駄で必要ありません。」「うちの高校は、早くから文系理系の選択して、無駄な科目はやらせません。」そんな高校や高校生たち!さあこれからどうする?笑

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