だいぶ長い間お世話になった。週2回くらい通うことが続いた時もあった。
お会計をすませて、お店を出て、階段を上り、地上で天を仰いだ時の満腹の充実感、いや単に胃袋の膨満感ではない、美味しいものをお腹いっぱい食べられたことを脳やからだのすみずみの細胞までが祝福するような至福の感覚が今も蘇る。
11時25分 開店5分前に行く。まだ他の客はいない。カウンターの奥に座り、4種類の昼のメニューから選ぶ。2、3個ある羽釜から蒸気が出ている。焼、揚、煮、そして生。生はお刺身定食。メンチやとんかつも出すが、基本は魚だ。どこにも書いてはないが、好きな2品を選ぶこともできる。例えば、子持ちカレイの梅煮に鯵の南蛮漬けといった具合だ。自分へのご褒美とかこつけて月一度くらいそうしていた。自分に甘過ぎるか。笑
店主は、無類の釣り好きで、毎週海に行って釣り上げた収穫を出すことも多い。壁には大きな魚拓の額があった。とにかく魚を知り尽くし、魚の旨さを知り尽くしている料理人だと思っている。焼きものはこの店主の役割だった。釣った魚の話になると、強面の偉丈夫が時に相好を崩す。伺い出した頃から、アニメ声の可愛いらしいお若い女子の板前さんがいる。昼少し前ごろから客が増えてくると、キっとまなじりを上げ、戦闘モードに入る。プロの顔だ。親方の秘蔵の弟子であろうか。
客がひっきりなしに来る。若いサラリーマン連中、近所のお品のいいおばあさま、常連の外交官と。「焼き に〜揚げ いち〜、はい ご飯おかわりね 少なめでー」と小さな店に声が飛び交う。
羽釜から炊き立てのご飯がよそられる。この時間だと、釜の蓋を開けて最初の一杯、一番風呂ならぬ一番シャリが食べられる。ふーふーしながら口に入れる。やや硬めのモチモチのご飯はとにかく腹持ちがよい。夜遅くまで腹の減る様子はない。おかわりは自由、というかおかわりしてくれという感じだ。以前、品川のてんぷら屋で、ご飯のおかわりが150円という店があった。いろいろな事情があるのだろうが、この店は、「食べたいだけ食べて行け」と言わんばかりだ、と勝手な解釈をする……。笑 それは経営的、経営戦略的にどうこうという問題ではなくて、おかわりするという行為を客の純粋な表現としてそのまま作り手が受け入れるというある種の覚悟にも思える。美味しいから嬉々とお代わりするのだ。そこかしこのどんぶりの中には生卵、そして卓の上には鉢に入ったさまざまな佃煮やふりかけもどうぞご自由にだ。
一杯目はお魚のオカズで、次は卵かけご飯に煮汁をたらして、佃煮をのせて二杯目、時折りご一緒するさらに大食漢の友人は、この後の三杯目を完遂する。
最後に出されるちょっとした旬のフルーツや手づくりのスイーツも嬉しい。
少し、いやだいぶ歳とった僕の青春の1ページといえるかも知れない。笑
こんなありそうでなさそうな店が好きだ。
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