今年4月 映画監督大林宣彦が逝去した。遺作となった「海辺の映画館ーキネマの玉手箱」は、最後を飾るのにふさわしい(かどうかはわからないが 笑)、てんこ盛りの大活劇だ。何がてんこ盛りって、上映時間は計画をはるかに上回る規格外の3時間、キャスト、スタッフは新旧交えた《大林組》馴染みを中心に総勢300人超え、尾道三部作のヒロインの名前や大林監督の映画人生に所縁の人物の名前を掛けたりと、細かい仕掛けも満載だ。まあ、ほんの軽い気持ちで作り始めたエンタメ作品が、いつの間にか本気になったという映画だというのがうなづける。
いつもの監督らしい、どこまでも柔和な笑顔と穏やかな語り口調は、一方で自由な表現活動を阻害し破壊する敵には敢然と立ち向かう覚悟があるからであろう。その最大の敵とは、もちろん戦争であり、7歳で終戦を迎えた広島生まれの監督にとって、とりわけ原爆の記憶なのだ。
今夜限りで閉館する、尾道で唯一残る映画館「瀬戸内キネマ」を訪れた青年3人は「日本の戦争映画大特集」の最終オールナイト上映で映画の世界にタイムスリップし、近代軍国日本が駆け上って来たさまざまな戦争の階段を体験していく。そして最後に1945年8月原爆投下の前日に広島で出会った移動劇団「桜隊」が被災してしまうのを必死で止め、歴史を変えようとする‥。
「僕たちは歴史の過去を変えることは決してできないが、映画で歴史の未来を変えることはできるかもしれない。映画を見た人、一人一人が一人一人の努力でもって平和を導いてけば、きっと世界の平和をたぐり寄せることができる。きっと平和な世の中を実現することができる。これが僕の考えるハッピーエンド」大林監督は語る。
映画の力を信じて結んだ。この映画を、そして彼の映画人生を。
新劇の団十郎といわれた人気俳優《丸山定夫》率いるこの移動演劇団「桜隊」は慰問のため広島にいた。9人が原爆によって亡くなった。その一人が女優《園井恵子》である。《常盤貴子》が「転校生」の《橘百合子》の名で演じる。宝塚劇団を退団して翌年「無法末の一生」で吉岡未亡人を演じて一躍脚光を浴びた時である。この2年後に32歳の若さで逝った。
この「無法松の一生」、戦争真っ只中の昭和18年、戦意高揚の国策映画ばかりの折に上映された異色にして奇跡の娯楽映画だ。封切りの1週間前、折しも神宮外苑で学徒動員の壮行会が開催される。そんなさ中だ。稲垣浩監督、国民的人気スターのバンツマこと《阪東妻三郎》主演のこの映画は、大林監督お勧めの日本映画界屈指の名作であり、この「海辺の映画館」にも映像が流れる。
殺伐とした戦争の時代の空気の中で、人々が究極に求めたものは、心の安穏であり、人間の無償の優しさだったのだ。それをキネマという娯楽こそが供することができた。まさに映画は静かなる反戦の表現ではないか。大林監督は単なる郷愁ではなく、それを、映画の無限の可能性を見せつけてやりたかったに違いない。
監督はこうも語る。
「僕たちは反戦映画を描く資格は無いと思っています。なぜなら僕たちが大日本帝国の正義を信じて『鬼畜米英』といって戦っていた世代ですから。ただ、戦争の嫌なこと、むなしいことだけは、しっかりと子どもであるが故に感じて体験していますから、「反戦」とはいえませんが「厭戦」という資格はある。80歳まで生きているからには、原爆を描く責務があるとおもっています。」
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