ランチでGO!!
江戸っ子だってねえ 蕎麦食いねえ
ー玄蕎麦 野中


おや?

わさびわさび‥と細かく彫ってある鋼鮫製のおろし金で生ワサビを擦って待つ

どこか一ヶ所だけ〈わびさび〉とかになってるじゃなかろうかと勝手に思って食い入るように見るが、前の席の客の目線が気になってやめておく。この摺り下ろしは店の新企画のようだ。

 今日の昼は《せいろ》でなく《田舎蕎麦》にした。品書きには、十数食限定とある。それといつものお子様天丼だ。辛めのスッキリしまった蕎麦つゆが口に合ってからこの蕎麦屋が贔屓だ。名店といわれる老舗も、僕の口には、時につゆが甘かったり、上品すぎて物足りなかったりした。

 この田舎蕎麦、品書きには「蟻巣(アリス)の田舎蕎麦」とある。初めは、乙女チックな鏡の国がどうした?と思ったものだ。いやこの店は真面目だ。メニューにあそびはない。蟻巣石は文字通り蟻の巣のように細かい穴が空いた希少な花崗岩のことで、これを石臼にして殻付きの玄蕎麦を手挽きすると熱が逃げ、蕎麦の風味が飛びにくいという。製粉に時間がかかるため限定つきとくるわけだ。

 僕は江戸っ子だ。(と思っている。)母方は十数代続く江戸っ子の家系であるし、父方も三代以上そうだ。江戸っ子の条件はいろいろあるが、要は本人が思い込むかどうかが問題なのだ。いわゆる自己申告でいい。笑

 以前、関西から一人で若くして上京した女性が、〈たくさんの荷物を抱えて東京に着いてそろそろと荷物に引きずられていても、いっこうに「だいじょうぶですか」「荷物を持ちましょうか」と声をかける人がいない、大阪だったら気さくに声をかけてくれる。東京の人ってやっぱり不親切で冷たい〉と言っていたのを思い出す。僕は思う。〈生粋の東京人は、大阪のおばちゃんに近い。世話焼きだし、気さくだ。〉地方から東京に上京してくる時に、油断がならないとか、都会の色に染まらないようにするとか、絶対成り上がって一花咲かせてやるとか、だから他人はみなライバルだ、そんなふうに意識過剰に身構えるだけだ。東京モンは気さくで、情にもろくて、粋で、いなせで、センスよくて‥‥やめておこう。笑

 そうそう、江戸っ子とは言ったが、実は住んでる中野は、昔は江戸に隣接する近郊の農村だった。前言撤回。僕はミックスだ。だから都会的な品がいい白い蕎麦も、太くて黒い田舎蕎麦も両方いけるタチだ。と思う。

 冷水をくぐったコシのある太めに切りそろえた灰白色の蕎麦が喉を通る。

自称江戸っ子はこれ見よがしに思い切り音を立てて吸い込む 

蕎麦屋で蕎麦を食べているという実感が湧き上がる。

 この《玄蕎麦 野中》の主人は、東京一の名店ともいわれた練馬豊玉の環七沿いにあった「田中屋」で修行をしていた。田中國安氏のお弟子さんの一人である。

 若い頃、田中屋といえば、特別の大人の店だった感じがした。100席近くあり、駐車場が高級車でいっぱい。多くの著名人も訪れていたらしい。あんなにお腹にたまらないせいろ2枚で2000円もする。天せいろなぞ食べようものなら3000円にもなる。牛丼10杯食べられるのになぜと思ったものだ。腹減らしの大食漢の僕には、そんな年輩の金持ちの文化は縁のないものと思っていた。人に連れられて何度か食べたことがあるが、あまり記憶がない。きっと頭に牛丼が浮かんでいたんだろう。笑。昭和30年代に始まったこの店も平成8年に突然閉店する。田中國安氏の想いと離れて店は進化していってしまったのかもしれない。もしかして、この《玄蕎麦 野中》は、彼の中で蕎麦屋のあるべき等身大なのかも知れないと思ったりする。

 佇まいも居住まいもそして器たちもいい。都会と野趣がミックスした気取らない店だ。決してアクセスがいいとはいえない住宅街のふつうの民家だ。だからこそ蕎麦好きが蕎麦を食べにわざわざ集まる。そんな空気が店をつくる。

 いい大人が「お子様天丼」を頂いたので、デザートに「大人のソフトクリーム」でしめようと思ったが品切れだった。

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