「‥‥‥つよくて やさしい くまでした。
おおかみは、はしのうえで ぼんやり たって いました。
いつまでも、 くまの うしろすがたを
みおくって いました。」
〈はしのうえのおおかみ〉(奈街三郎 作 花之内雅吉 絵)より
オオカミもうっとりするほどつよくて知恵があってやさしい森の英雄、そんなクマさんがいる。
童謡 〈森のクマさん〉もやさしいクマが登場する。
「………♫ところが クマさんが
あとから ついてくる
トコトコ トコトコと
トコトコ トコトコと
お嬢さん お待ちなさい
ちょっと 落とし物
白い 貝がらの
ちいさな イヤリング
あら クマさん ありがとう
お礼に 歌いましょう
ラララ ラララララ
ラララ ラララララ♫」
(アメリカ民謡 馬場祥一作詞)森のクマさんより
ここには親切な森の番人のクマさんの登場。もと歌の英語の歌詞では、偶然出くわした男が熊から逃げる様子がわりとリアルに描かれているが、日本語版は〈お嬢様〉とのお茶目な寸劇仕立てである。
リラックマ、パディントン、tedd,くまモン、よるくま……、挙げればもう無限、というほどのくまキャラ、あっ そうだ! 忘れてはいけないのがくまのプーさん、そしてダフィーも。
クマさんはどうしてこれほど愛されキャラなのか?
のんびり、やさしくて、丸っこくて モコモコで、不言実行で、いやされる……か。
そのクマさん、いや熊が、最近、頻繁に、凶暴な猛獣としてニュースで世間を騒がす。畑を荒らすだけでなく、山菜採りやタケノコ狩りに里山に入った人を襲い、住宅街では通り魔のように住民が襲われ負傷するテレビ映像も目にする。
日本には、本州、四国にツキノワグマ、北海道にはヒグマがいる。津軽海峡上のブラキストン線という生物の境界線によって棲み分かれている。双方とも雑食で木の実、特にブナやナラなどのドングリが大好物だが、クマの進化の系譜を辿ると、もともとは肉食獣であったクマの祖先は、人類が誕生した洪積世時代、小型化した草食哺乳類を機敏に捕食するのが難しくなって、植物を中心とする雑食性に移行した。現在、ヒグマはシカ、イノシシ、サルなどの草食動物を積極的に捕食する肉食の傾向も次第に強まっていると指摘する専門家もいる。そしてヒトも‥‥。いったん動物の肉の味を覚えると、積極的に捕ろうとするのだ。祖先の本能が頭をもたげる。
大正の初めに開拓移民7人を襲った〈三毛別羆事件〉や昭和45年の〈福岡大ワンゲル部〉の出来事は今でも語り継がれる悲惨な事件だ。猛獣であるヒグマに戦慄を禁じ得ない。そしてヒグマより小型で、体も小さく、どちらかというとおとなしく臆病で、不意に出くわして驚い場合以外人を襲うことないと思われていたツキノワグマも近年は攻撃性が高くなってきている印象がある。平成28年秋田県鹿角(かづの)で4人の命を奪った〈十和利山熊襲撃事件〉は平成最悪の獣害事件ともいわれる。
棲む山に餌が少ないと、食料を求めて、熊は人里にやって来る。腹のすいた熊は食べるものを必死で求め、邪魔するモノには一撃を加えるだけだ。それは生きる本能といえよう。ドングリなどの不作が熊の出没に影響があるのは確かではあるが、それだけではないと指摘する声がある。ドングリよりも畑の野菜の方が好物になったとか、人が駆除し放置したシカの肉を食べてから味をしめたという分析もある。つまり[私たち人間が、熊が私たちをを襲うようにその食性を変えた]ということだ。さらにはヒトとクマの関わりが問題なのだと指摘する専門家もいる。それは物理的にも精神的な意味でも。
絵本『ずっとそばに‥』(2007岩崎書店)のあとがきで作者の〈いもとようこ〉は次のように結びます。
「くまが出没、人間をおそった‥‥」というニュースをきくたび、私は胸が痛みます。くまが住む山へ人間が侵入し、木は切られ、別荘がどんどん建てられています。
山の動物たちは、どこにす住めばいいのでしょうか‥‥?
人間も動物も同じ生き物です。
人間の命、動物の命、どちらも同じ命です。
人間と動物が共存できるよう‥‥
私たちは考えねばなりません。
里山はいつのまにか荒廃し、人の生活の場と熊の棲む山の境界がなくなってきた。クマとヒトの生活圏の緩衝地帯であった里山は消え、山の入り口まで開発が及んでいる。山を下ったクマは水路や道路を進んで街に来るのも容易になる。こうして人との接触が頻繁になり、事故が起こる。
都会の私たちは、いつの間にか愛らしいアイドルとして脳裏に焼きついた虚像を熊と錯覚する。一方で、山で暮らし、野生の熊の怖さを知る人々の中には、作物を荒らして奪い、時に人に牙を向くこの「害獣」を、疎んじ、憎み、絶滅させてほしいと思う人がいる。
現下の新型コロナウィルス。ワクチンや新薬の開発により、いずれ感染が収束した暁には、〈人類の知恵が自然の猛威に勝利した〉と〈やはりニンゲンが地球上で最も優れた最強の生き物であった〉という大合唱が起こるだろう。もともと人間が起こした災禍で自身が狼狽する姿も、見方を変えれば、至極滑稽に映る。
北海道の先住民「アイヌ」は、古より、ヒグマをキムンカムイ(山の神)と呼び、生活の中で狩猟と信仰を共存させて来た伝統をもっていた。熊の生態を熟知し、良い熊と悪い熊を区別し、対応を分けながら熊との距離を保つ術を知る。
アイヌ民族博物館館長の野本正博氏は言う。(以下 WWF 2014・1.29記事より引用)
「アイヌに限らず、日本が、さらに世界全体が、近代化によって手に入れてきたさまざまなものを一度突き放して、再評価してみる時期に来ているのではないでしょうか。後は、その勇気があるかどうかです。」
アイヌもクマも、外国人も,外来生物も、ウイルスも,隣の家の住人も、宇宙人も‥‥、すべてが自分と違う意味での他人いや他者である。私たちは、もはや異質な他人とどう共存していくかを考えずに生きていくことはできない。
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