「南方ですか。それは大変でしたね……。」祖父か祖母の法事か何かで集まったジジババオッサンたちの会話から漏れてくる。戦後といっても、まだ戦地や疎開先など戦時中の有り様を語るのが自己紹介だったり、酒宴の席での会話の端緒となっていた時代。確かに氷点下40度のシベリアでの捕虜生活の厳しさも想像を超えるのものであるには違いないが、特に戦争末期の西太平洋の島々を含むアジア全域の戦闘は、厳しいというよりあまりにも悲惨だったという共通認識は、当時を知る皆にあったようだ。
今年の夏、お盆休みに訪れようと思っていた広島原爆資料館がコロナ禍の緊急事態宣言により休館になったので、その代わりといったところで、話題の戦争漫画「ペリリュー 楽園のゲルニカ」(白泉社 武田一義・著 平塚柾緒監修)全11巻を一気に読んだ。戦争がテーマのマンガといえば、だいぶ前に「はだしのゲン」を数巻読んだことがあるが、それはつまみ食い程度で、もともと僕には漫画自体全巻を制覇すること自体至難の技である。この「ペリリュー…」では、いつの間にか3頭身の主人公の田丸たちと一緒に従軍しているように、漫画の向こう側の世界を浮遊している感じがした。戦地で日一日が経つのと同じようにページをめくる指が動く。
戦争末期、連合国の反攻によって劣勢に立った大日本帝国の最後の砦である「絶対国防圏」。その西太平洋の島々では次々と過酷な戦いが繰り広げられる。ミッドウェー海戦を機に勝敗の風向きが変わる。ガダルカナル、ニューギニア、ギルバート諸島、クェゼリン島、サイパンやグアム島など、米軍と激戦の末、日本軍は玉砕を繰り返した。全滅、完敗、集団自決という言葉が玉砕という美辞麗句に隠される。これらの島々は、マリアナ諸島(サイパン・グアムなど)とフィリピンへつながる通り道で、一つ一つ日本軍にとって戦略上きわめて重要な地点が失われていく。まるでオセロの石が次から次へとひっくり返っていくようだ。海と空を制圧され、兵糧や物資、人の供給路を断たれ、日本兵たちはジャングルをさまよい、飢餓や負傷や感染症に苦しみながら敗走する。
ペリリューは、パラオ諸島の小島で、〈地球最後の楽園〉とも呼ばれた美しい珊瑚礁の島だ。フィリピン奪回の拠点となるペリリュー島飛行場の制圧を目論むアメリカは、1944年(昭和19年)9月米軍海兵隊の最精鋭部隊約40000人を送り込み敵前上陸を敢行する。日本将兵約12000人。アメリカ側は2、3日で決着が着く見込みでいたが、結局戦闘は73日間にわたり、しかも60%という史上最も高い割合で海兵隊の精鋭上陸部隊は死傷した。
このペリリュー島の戦いのひと月前にはグアム島が玉砕、そして一ヶ月後には米軍はフィリピン・レイテ島に上陸する。このフィリピン上陸の結果、米軍のペリリュー奪還の戦略的意義は失われることになる。結果的に無用な戦になるにもかかわらず、あまりにも多い犠牲者の割合や過酷さからほとんど語られることがなく〈忘れられた戦場〉と形容されるのがペリリューの決戦だ。
日本軍大本営はそれまで是としていた〈万歳攻撃〉を許さず、最後の一兵になるまでの徹底抗戦を命じた。玉砕でなく持久戦による時間稼ぎと米軍の精神的消耗を兵士に強いたのだ。「絶対防衛圏」を失い、本土決戦に備えるために費やす時間が必要なのだ。兵士たちは岩山に掘った洞窟に潜んでゲリラ戦を続け、弾薬や食料が尽きるなか、多くが餓えや病気で死んでいった。米軍は日本兵を掃討するため新兵器を用いる。艦砲射撃に加え、空からはあたりを焼き尽くすナパーム弾(焼夷弾)を投下し、火炎放射器で洞窟ごと丸焦げにした。
すでにペリリュー島攻略の戦略的意義や目的を失った中でも兵士たちは孤立した〈戦場〉という舞台で敵と味方に分かれて殺し合いをする〈狂気の戦場〉と化す。極限状態の中、狂気が連鎖する。もはや本能が生への執着だけを求める。だから生きることを邪魔するものは敵味方関係なく憎悪を晒し、殺し、いのちをつなぐだけだ。ここには戦争という地獄が凝縮されている。
日本軍の兵士約1万人のほとんどが死んだ。生存者はわずか200人程度だったという。アメリカ軍の死者も1600人に上る死闘だった。しかし米軍占領後も生き残りの日本兵34人は終戦を認めずに、終戦後一年半経過した1947年4月まで、密林に潜んでゲリラ戦を戦った。そしてようやく投降する。
「でも描きたかったのは、激しい戦闘だけでなく、玉砕後に島に取り残された日本兵の運命全て、でした。そこは、それまでの戦争漫画であまり描かれてこなかった部分でもありました……」(作者 武田一義 毎日新聞記事より引用)
天皇陛下に対する忠信を貫こうとする者、捕虜となることの屈辱と葛藤する者、はやく解放されて生き長らえたい者など、終戦後も部隊が消滅し情報が絶たれている中で、〈終戦〉という情報が伝わらなかったり、その真偽に翻弄され、階級社会の集団の中で彼らそれぞれが戦争終結に至る難しさを伝える。1972年横井庄一さんは戦後28年経ってグアムの密林から戻り、1974年は小野田寛郎さんがフィリピンのルソン島のジャングルから帰還したニュースはそのことをよく伝える一例である。
最後の11巻では、癒えようのない心の傷を負った帰還兵たちが戦後をどう暮らし、生きたかが描かれる。同時に、70年前と今という二つの点が織り上げられた反物のように鮮やかに繋がっていく。戦争という過去の出来事はひとつひとつの心と記憶の中に染み入り、水平的に、そして時間を超えて垂直的に広がっていく。少しずつ薄まりながら‥‥。
この漫画の原案協力である平塚氏は〈玉砕の島々 平塚柾緖著 洋泉社刊〉でこう結んでいる。
「この三十四人の帰国の日を知らされた家族はいなかった。迎えてくれたのは、敗戦の波にもまれた利己的な日本人たちだったのだ。これが、日の丸の旗の波に送られ、聖戦という名のもとに戦わされ、そして生き残って帰ってきた忠君愛国将兵への、悲しい凱旋帰国の歓迎だったのである。」
いつの間にか師走である。先週12月8日、真珠湾攻撃80年目の日が過ぎた。
太平洋戦争はここから始まった。
参考
忘れられた島々 「南洋群島」の現代史 平凡社新書
玉砕の島々 洋泉社
ペリリュー島玉砕戦―南海の小島七十日の血戦 (光人社NF文庫)
毎日新聞
NHKスペシャル 狂気の戦場 ペリリュー 忘れられた島の記録 等
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