ほんの数週間前だが、もう昨年のことになる。暮れも押しせまる12月19日、澄み切った冬空の下、毎年年末恒例の東京大学と京都大学のラグビーの定期戦が行われた。両校にとって恒例である年納めの最終戦、特に4年生にとっては学生最後の試合となる。東京での開催となった99回目の今年は、ラグビーの聖地秩父宮ラグビー場で行われた。オミクロン株によるパンデミックの兆しが見え隠れする中、周到なコロナ対策を施した上での有観客の試合だった。
元号が明治から大正に移る1910年、「慶応義塾體育會蹴球部」に続き、現在の京都大学の前身である「第三高等学校嶽水会蹴球部」が創部する。日本のラグビーの黎明期だ。1911年に同志社大学、1917年には早稲田大学、そして1921年東京帝国大ラグビー部が誕生した。
翌年の1922年1月10日創部ホヤホヤの東大と京大両校が初めて対戦する。そして昨年2021年はちょうどその時から100年目にあたる。
この東大・京大の対抗戦は過去100年の歴史の中で、試合が行われなかった年が3回ある。いやたった3年しかないのだ。1925年の大正天皇崩御の際、太平洋戦争末期の1944年、そして一昨年のコロナによる緊急事態宣言下での中止である。
対戦の歴史の中で、とりわけ1943年は語り継がれる。この年の10月21日、秋雨降る中、神宮外苑競技場(現在の国立競技場)で出陣学徒の壮行会が行われた。軍靴が響く有名な行進の映像が実況のアナウンスとともに蘇ってくる。卒業まで徴兵を猶予されていた学生はいよいよ死を覚悟する。
もちろんスポーツの試合等は軒並み中止勧告が出されている状況の中のことである。東大ラグビー部部員たちは、何とか京大との試合が行えるよう奮闘するが万策尽きる。そこで10月19日、あの壮行会の前々日、彼らは「秘密」の京大戦実施作戦を敢行する。K作戦といったらしい。憲兵の監視をくぐり抜け、たまたま京都で出会った友人とラグビーに興じるというストーリーを演じ切る。そう、敵性語禁止の時代だから「闘球」に興じると書くべきか。とにもかくにも命と引き換えに、最後になるかも知れぬ京大との試合を望んだのであった。そしてこのアンダーグラウンドの試合は、公式戦としてカウントされている。
これをテーマにしたドラマ「キミに最後の別れを~永遠なれ ラグビーの青春~」があった。2019年1月12日NHK BSで放映された戦時下での青春ストーリーだ。ラグビーワールドカップ日本開催の年だった。
100年の歴史で試合が無かった年が3回で
100−3=97
反対に1年間に2回の試合が行われた年もあるようだ。やはり太平洋戦争末期、徴兵によって人員確保したい大本営主導の国策によって修業年限が短縮される。それでも足りずやがて学徒出陣に至った。1年間で2度卒業を迎えたのであった。
97+1=98≠99 ?
ムム…。勘定が合わないが、99回ということだ。
創部100年99回目の記念試合、緑黒ストライプいわゆるスイカのジャージと紺白のだんだら縞が相まみえる。フォワードの東大、展開の京大と伝統が香る。後半ロスタイム、目まぐるしく試合が動いた。東大15京大10、このまま東大の勝利が色濃くなった矢先、京大が自陣10mからの逆転トライを見せつける。コンバージョンキックも成功し京大17と2点リード。が、しかし46分、京大のペナルティでチャンスをつかんだ東大は、ラインアウトからモールでトライ!試合終了!
観客皆が立ち上がり、驚愕し、賞賛し、悔しがる。もちろん早明戦や選手権決勝とは規模は違うが、秩父宮がうねって揺れた。
さまざまな思いを抱き歴史を刻んできた伝統の対戦である。
先日2日の大学選手権の準決勝、帝京大と京産大。解説者は口をそろえて「魂が入っていた」と試合を評していた。専門家をしてもあまりに抽象的な「魂」と言わせる、これがラグビーの真髄かも知れない。彼らの身体が発する白い気体が澄んだ冬の青空に吸い込まれて昇華していく。
追記
東大ラグビー部のことも記事にしてきたスポーツ(ラグビー)ライターの藤島大氏が2006年4月に書いたコラムが、東京大学ラグビー部のホームページにある。最後の一節だけを挙げておこう。
「〜東大生は絶対に真剣勝負のラグビーをすべきだ。実際にその道を選んだ部員諸君は幸運なのだ。いつか、なにがしかの役を得て、国連本部の密室で、雄弁にして老獪で鳴るフランスあたりの大臣と一対一の交渉に臨む。そこで負けない。負けないだけの人生の「芯」をつかんでいる。そのために走ろう。倒そう。起き上がろう。決戦までの残りの練習を日数ではなく時間で計算して、極限の可能性を追求しよう。人類のためだ。」
以上
記事にコメントする