始まる10分前くらいから15名ほどの教室の席がどんどん埋まっていく。
いつの間にか、満席の中、黒一点になった。幅広い年齢層の女性が集まっている。かくも「アシ(リ)パ」(この〈リ〉がアイヌ語の発音上、微妙のようだ)に魅了されたのか、登場するキャラの濃い変人男たちのシンパなのか、はたまたこの漫画のドクワク感にどっぷり引き込まれているのか……。
確かにヒロインのアイヌの少女アシ(リ)パは、強く賢く美しい少女闘士である。その名はアイヌ語で〈新しい年〉ひいては〈未来〉を表す。私の中で彼女は、宮崎アニメの「ナウシカ」を連想し、そしてドラクロアの〈民衆を導く自由の女神〉にも通じる。
「アイヌ」に対する興味がわいて、野田サトル氏の「ゴールデンカムイ」を六巻ほど読んでいたが、そこで中断している。いつものことだが…。
この漫画、(途中で挫折している私が言うのも説得力なさ過ぎるが…)アイヌの少女や日露戦争の帰還兵たち、はたまた新撰組の土方歳三が登場する空想時代活劇であり、金塊を探し当てるサバイバルアドベンチャースペクタクルだ。余計わかりづらいか。(笑)そして、物語を通じてアイヌの文化や歴史が正確でわかりやすく写し出されている。
漫画のアイヌ語の監修者である元千葉大学教授の中川裕先生のセミナーが、某日、カルチャーセンターで行われた。タイトルは「『ゴールデンカムイ』から知るアイヌ文化の魅力」。黒一点、しかもオジサンの私は、もしかしてとても場違いなところに来てしまったのかといささか不安を感じたが、先生の話は終始面白くて、学者という専門家の凄さと素晴らしさを感じるひとときでもあった。極めてマイナーな専門を一徹に研究してきたプライドと開き直り(?)がその風格に漂う。
アイヌ(人間)にとって、人間の周りにあるすべてが〈カムイ〉である。その意味で中川先生はカムイを「神」と訳すのではなく「自然」や「環境」と置き換えた方が適当だと言う。アイヌとカムイは互いに必要不可欠なパートナーとしてよい関係を結ぶことによって、お互いが恩恵を受け、幸福に暮していくことができるというのが伝統的なアイヌの考え方だ。ただしまわりにあるすべてといっても、物語によ〜く登場するオソマ(ウンコ)はカムイではない。(笑)
カムイはふだんカムイの世界(カムイモシリ)で人間の姿で生活していて人間にはその霊魂の姿を見ることはできない。カムイが人間の世界(アイヌシモリ)に来る時には人間の目に見えるように衣装を纏う。その衣装は人間に対するお土産にもなる。例えばカムイの代表であるヒグマは、毛皮と肉を人間のところへ持ってくる。そして人間はそれを頂いたそのお返しとして、感謝の言葉を述べ、お酒や米の団子をお礼の贈り物として捧げる。いわゆる狩猟の場イウォロはアイヌとカムイの交流の場である。そこで人間は自分のところに来てくれるように祈り、招待状である「矢」を射る。矢が当たれば、カムイが喜んでお土産をくれることで、もし矢が当たらなければ、カムイがお土産を渡したくないという、矢を放った人間に対する評価でもある。
私たち現代人はスーパーで肉や野菜を買い、パックを開けて調理をして美味しく食べ、残したものはゴミとして捨てる。動物を屠殺し、解体する過程は見えないように分業が成熟している社会が現代である。それに対して、アイヌは狩猟によって生活を営み、自然の中で生きてきた。つまり動物を殺すことの意味を常に考えてきたのだ。その上で築かれた世界観や哲学がある。「ゴールデンカムイ」は、己の命を狙う奴は迷わず殺す帰還兵の〈杉本〉と、動物は殺すが人間は絶対殺さないアシ(リ)パが対比的に描かれながら展開していく。
コロナ禍の折、自然と人間の関係がさまざまに叫ばれる。共生というワード自体もう陳腐なうわべの言葉にも響く。この災禍は自然を破壊してきた人類の自業自得だと唱える人あれば、人類の知恵と技術によってウィルスを駆除いや根絶して勝利してみせるという立場もある。もしかするとアイヌと自然の関わりにその答えのヒントがあるかも知れないと思った。厳しい自然と対峙してきた歴史の中に、探り当てるべき知恵が隠れているかも知れないと。いや、もうそこまで戻らなければ何ものも見えてこないほど〈現代〉という地層に奥深く埋もれている。少なくとも私自身はそうだと思う。SDG’sやカーボンニュートラルなど、やたらメディアで踊る横文字やカタカナ語はもはや技術や道具を指す用語ではない。私たち地球人にとっての自然と共生する新たな哲学の中でとらえる必要がある。アシ(リ)パ」すなわち「未来」のために。
アイヌ語研究の先駆者であり生涯をかけてアイヌ文化の研究者として名高い言語学者の金田一京介氏(1882年〜1971年)は、アイヌ民族は和人(日本人か日本政府)と同化することによって幸せになると言ったそうだ。その話をした中川先生はやや下を向いて「私はそう思わないが…。」と言い加えていたのが印象的だった。
参考 アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」(集英社文庫 中川裕)
タイトル文 スイ ウヌカラアン ロ!(またお会いしましょう)
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