『ドン・キホーテ』は読んだことはなかった。西洋の騎士の物語というくらいしか知らない。「ドンキホーテ」と呟くと、あの安売り量販店の音楽が頭の中で反響する。(笑)ストーリーもキャストも公演の歴史もよく知らない。もうこの際、何もわからずに舞台を感じようと思った。若い頃歌舞伎にハマった時期がある。歌舞伎座でよく観た高麗屋松本幸四郎(白鸚)が半世紀続けた西洋劇のフィナーレを観てみたかった。マーメイドラグーンのような素敵な劇場、そしてあの曲‥‥。
台詞回しもわざとらしいし、舶来の西洋劇の香りが漂う。妄想に取り憑かれて諸国行脚をするイカれた騎士もどきのお話、セルバンテス、キハーナ、そしてキホーテと一人が三人の名を語る。おまけに劇中劇とくれば、そりゃわかりずらい。キャストのキャラもストーリーもつかみきれないまま劇は進んでいく。半ばくらいまでは僕が剣をとって睡魔と戦う。いや戦わない(笑)。やはり幸四郎の花道のための舞台なのかなぁなんて思ってしまう。モコモコ籠った声、立ち回りも歌舞伎調の足さばき、大きな杖を持って遠くを見る表情は、鬼界ケ島の「俊寛」を思い起こす。昨年末に亡くなった弟中村吉右衛門の当たり役だ。染み込んだ歌舞伎の芸の殻はそうそう破れないなぁと僕。な〜んだ歌舞伎仕立ての西洋劇なのかい。
どのくらい経ったか
「キチガイ」「キチガイ」と結構えぐい言葉でキホーテが皆からいじられて、バカにされ、からかわれる場面がある。メディアでは使われないこのことばの連呼にドキっとする。ムムム‥‥、わかってきた。この旅する騎士もどきの老いぼれは、他人に相手にされず、どこに行っても疎ましがられて酷い目に遭うのだ。(なに?そんなことはとっくにわかっていたって 笑)でも、自分の信念を曲げずに必死に何かを伝えようとする。少しずつ引き込まれていく。睡魔はもうどこかに飛んで行った。
「事実は真実の敵だ」という有名な(後で知ったが)セリフあたりで、なんだかオッサンの存在感ががぜん増してきた。そしてあの歌‥‥、長い杖を支えに毅然と「見果てぬ夢」を歌うころには、もう涙腺が完全に崩壊していく。
事実と真実‥‥事実はどこまでも断片だし、真実は嘘くさい、どっちもどっちだ。つい僕はそう思ってしまう。でも人それぞれにとっての真実はあっていい。そしてそれを貫こうとするドン・キホーテは道化を越えて崇高にさえ映る。それは、歌舞伎役者の枠にとどまらない一徹の演劇人白鸚に重なる。
何はともあれ、〈事実〉は劇を観て、僕が涙したこと
〈真実〉は、白鸚の演じ切った姿が清々しく素晴らしかったということ だ。
白鴎は『ラ・マンチャの男』でアルドンザ役の娘松たか子と共演した後、この4月の歌舞伎座では「荒川の佐吉」で息子松本幸四郎と掛け合う大親分役を演じる。容赦無く子供達に自分の生き様をぶつける師である。
あれ?
「太陽がいっぱい」のアランドロンか? 「見果てぬ夢」はカレッジポップスか?若かりし頃の幸四郎だ
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