栃木市の旅館「かな半」は江戸時代後期 安永年間に創業の旅籠だ。栃木市は小江戸と言われ、街道筋に昔ながらの街並みが残る。旅館は、栃木駅から北へ走る目抜き通り「蔵の町大通り」沿いに佇む。周囲には黒い板塀やなまこ壁、土蔵も多く、《東京もん》から見ると、よくぞ残してくれた感がある風情ある街並みだ。女将は、二人姉妹の妹で、中学生の頃には、この旅館を継ぎたいと思っていたらしい。そしてご子息の次男坊君も然りのようだ。伝統ある有形・無形の文化を喜んで継承する雰囲気が自然に醸成されるのかも知れない。街並みだけでなく、家族の有り様も自然な伝統が根づいているのであろう。
江戸時代この辺りは、例幣使街道の宿場町として、また市の中心を流れる巴波川(うずまがわ)を利用した舟運で栄えた問屋町として繁栄した。確実ではないが、明治時代、足尾鉱山事件で県庁(明治初期は栃木市に県庁があった)を頻繁に訪れた田中正造が「かな半」で食事をしたり、イギリスの女性冒険家イザベラ・バードが「かな半」に宿泊したという話がある。事程左様に歴史とともに息づいてきた旅館だということだ。
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この旅館には、江戸時代の宿泊者の夕飯の献立《お品書き》が残っている。約3年前からこの江戸時代のレシピを再現しようとする試みが始まった。地元の国学院短大の教授などと連携して、目下、当時の食文化や食材についての調査や研究を行ない、献立の料理一品一品の理解に向けて勉強中だそうである。
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今回頂いたお膳は、その手始めの《江戸飯》だ。現代流にアレンジし、観光客も気軽に楽しめるように考えたお膳仕立てである。
頂いたお膳
◆モロ (もうかさめ)のニラ甘酢あんかけ
モロは、昔から栃木でよく食された魚です。ニラは、栃木の特産物です。
卵は、高級品ではありましたが、江戸時代には、よく使われていたようです。
◆炙りサーモン刺身 煎り酒
煎り酒は、醤油が出来る以前に酒を煮切り、かつお、昆布、梅干しを出汁にして作られた
ものです。
◆天ぷら
水菜に、栃木県で作られている岩下の新生姜を混ぜました。
◆春の雪(江戸の文献より
緑の草の上に雪が降るという、素敵な状況を表したネーミングがついています。
◆染飯(江戸の文献より)
クチナシの実で色付けした おこわです。
◆鳥の濃醤(江戸の文献より)
椎茸で出汁を取り、鳥挽肉でコクをだした味噌汁です。黒胡椒で味をととのえます。
(黒胡椒は江戸時代よく用いられていたようです)
◆ふのやき(江戸の文献より)
利休がお茶会で出していたお菓子です。
◆甘酒のジュレ
栄養のある甘酒は、江戸期にも飲まれていた飲み物です。
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近い将来、再現作業が完成した折には、今から250年前に旅籠で供されたディナーを頂きに伺いたい。その時は、いっそ侍(サムライ)と町娘のコスプレに身を包んで出かけて、ドップリと江戸の時代にタイムスリップしてみようかな‥‥。(笑)
※例幣使街道 江戸時代、京都の朝廷から徳川家康が眠る日光東照宮へ幣帛(へいはく 神事の際の供物)を奉納する勅使(例幣使という)が通った道
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かな半旅館H.P http://kanahan-hotel.com/
とちぎ江戸料理 http://tochigi-edo.jp/
クックパッドには、多くのの江戸料理レシピがある。(〈江戸ご飯〉とか〈江戸料理〉で検索)昨年の11月に、国立の二つの研究機関「国文学研究資料館」と「国立情報学研究所」で、江戸時代の料理本「万宝料理秘密箱一名玉子百珍」の公開と翻訳、そして現代語訳が行われた。クックパッドがこの研究活動に協力した。
例えば 【江戸の味】ふのやき (江戸のクレープ) by クックパッド江戸ご飯 はいかがでしょうか。
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