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MJ通信
雑感
(その昔バージョン)
2000-02 (平成12年)

MJ通信  雑感  2000.2 
 偏差値(変さ(?)値)
 小学6年生の十一月頃になると、受験をする子供たちからしきりに「○○中学校って、偏差値いくつ?」と質問を浴びせられます。この頃になると、自分自身の受験校の選定や学校の友達の受験校の「偏差値」がとても気になり、「誰それは偏差値いくつの学校受けるんだって、きゃあ、すご~い」とか「○○中学校って、偏差値いくつなんでしょ、もっと高いところを受けたいなぁ~」(女の子ことばなのは特に意図はありませんが、どちらかというと女の子の方が情報の回りが速く、感情表現もストレートな場合が多いようです。)
 そうです、この時期、そこかしこで「偏差値菌」が蔓延するのです。
 今年の6年生に、夏の頃、「なぜ君たちは私立中学へ行くの?または、お母さんやお父さんはなぜ行かせたいと思っていると思う?」と聞いたことがあります。ある男子はすかさず手を挙げて、「偏差値がいい大学に行って、いい会社に就職したいからです。」と答えました。いささかの迷いもない様子でした。
 昔、3人の男の子が一緒に来て「塾に入って私立中を受験したいのですが」「で、どんな学校に行きたいのかな。」一人一人聞きますと、順番に「偏差値が高い学校です。」「ぼくも偏差値が高いところ」「ぼくもです」「・・・・・・・・・・・・・・・。」
 ごくたまに、「偏差値にこだわらず本人に合った6年間を選択したいので・・・・。」
とおっしゃるお母さまもいらっしゃいます。が、その後しばらくして「でも、偏差値50以下はちょっと・・・。」とつけ加えることを忘れていないようです。
                  *
 中学受験を希望するお母さまとお会いしてお話をしていく中で、結構多く遭遇する志望理由が、「○○高校って、偏差値65くらいですよね。そのかわり中学校は偏差値が52となっています。高校から入るより中学の方がずっと入り易いと思いまして」ということです。
                 「?」
 偏差値は、算出する対象(母集団)によって全くその数字が変わってしまうものです。中学入試は学校のクラスで10名前後の、概して学校の勉強は十分わかっている子供たちだけを対象にしているのに対して、高校入試はクラスのほぼ全員を対象にしているわけです。それぞれの平均が違うのは明らかなことです。
 確かに、高校入試案内(二〇〇〇年度版晶文社)で富士見高校の偏差値は66となっており、中学入試案内(同じく二〇〇〇年度版晶文社)では富士見中の偏差は52(以上)となっています。しかし、これは1個の重さが異なるおもりをてんびんの左側と右側に66個と52個並べたもので、実はてんびんは釣り合っているのです。
 つまり偏差値66と偏差値52は同じ程度の難易度だということです。(???)
 また、同じ学校でも、テストの種類によって偏差値が変わることも当然です。ちなみに日大豊山中学校は四谷大塚では44、統一模試では55(いずれも昨年10月期)となっています。大学受験でも、東京理科大(経営B)は、手元の資料をパッとめくってみると代ゼミの偏差値では57、駿台の偏差値では50(いずれも50%の合格可能性でくらべたもの)となっています。
 偏差値はいったん上がると下がりにくく、いったん下がると上がりにくくなる性質もあります。例えば、たまたま偏差値60の受験生がこぞって偏差値40の滑り止めのA大学を受けて合格したとします。もちろん、受かっても一人も入学はしません。偏差値をつくる予備校は合格者のデータを集め、次の年のA大学の偏差値を決めるのですが、結局、次の年、A大学は偏差値がポ~ンと上がることになります。そして、偏差値が上がると今度は上がった偏差値を基準にして、新しい受験生が志望校を決めるので、さらに高値安定が続いていくわけです。(一時期の日東駒専がこのバブルの循環にあったと思います)また、一地方の無名高校が受験界で名を挙げるために、全国模試の○○模擬テストで、生徒にテストの類題を対策授業し、学校の偏差値をぐ~んと上げたという話もありました。ある大学の職員が、大手予備校で偏差値の操作(大学の格付け)に関わったという証言も、2月5日の朝日新聞に掲載されています。
 区立の中学校から文部省主導の偏差値追放キャンペーンとして業者テストが廃止されて6、7年、中学からは、たしかに数学を絶対視する風潮は少なくなった気がします。しかし、中学受験がポピュラーになるのに合わせて中学受験の現場ではこの「変さ値」はより硬直化し、絶対視する傾向が強くなってきている気もします。私立中の学校説明会に参加し、校長が「お陰様で、私どもの学校は○○テスト(模擬試験)の結果で偏差値が55になりました。」と言われると、「ブルータス、お前もか」*と思ってしまいます。

 こう書いていくと、「塾こそが偏差値を一番の武器のように使い、宝石のように大事にしてきたのではないか」と批判されるかも知れません。確かに多くの進学予備校はそうかも知れません。しかしその子にとっての受験を見つめれば見つめるほど、偏差値はあくまでも一つの物差しにしかすぎません。塾こそそうであるべきだと思います。その子が「この学校に行きたい」と思えば、その子の能力を把握し、その学校の問題レベルや傾向を把握し、その点と結んで、受験の時期までにどう勉強をしていけばいいか、もちろんその子の性格や特性もつかんでいかなければなりません。その学校の問題レベルで6割5分とれば絶対受かるのです。極端に言うと、そこには、偏差値なんて入る隙はありません。必要がないのです。もちろん模試試験は必要です。結果のひとつの指標として偏差値や合否判定は参考になりましょうが、良くも悪くも偏差値は一つの目安程度のものと考えるべきでしょう。私たちがさまざまな学校と交流する中で、実態より偏差値が高すぎたり、逆に低すぎたりというケースも少なくないのが現状です。この数字の魔性やトリックにかからないで本質を見極めることが必要ではないでしょうか。

 「○○中学校の偏差値いくつなの?」と子供たちに質問されると、確かに答えは苦慮します。「○○テストでは52だ」と正解に答えても、子供たちにとっては、52より53は絶対低く、51より絶対高いとなるわけです。この問いに対する模範解答は、「その子にとっていい学校こそ一番偏差値が高いんだよ」となります。そう答える時もありますが、競争の中で、横並びの中で生きている子供たちにとって、それはあまり納得できる答えではないのかも知れません。                                  (H.S)

2014.01.06更新|MJ通信