教育コラム雑感ー「怪奇プリント」の巻

ありゃりゃ 

またお出ましになったぞ。

 H◯中の理科の先生がプリントを配布した。算数?数学というか頭の体操、少し高尚に言うと、《数理的思考》の問題が並ぶ。エっ? 中3のこの定期テスト前のこのタイミングで?

 1枚には、《受験勉強で固くなった頭をほぐそう》と書いてある。いかにも生徒思い?()

 もう一枚にはは、小学校受験レベル、中学受験レベルと付記されて、問題が10問程度。どれも油断がならない問題たちだ。ふつうの子には23問くらいしか解けない。私には楽しみでもあるが、それは数学を解くのが好きだから。生徒は、この「課題」が内申の評価の対象となるだろうと、真剣に取り組むのだが、ぜんぜんわからないとうろたえる。

 このY先生、光が丘近辺の学校で、だいぶ昔から理科を教えている。授業も工夫され、正論を語る一言居士という印象だった。生徒からも一目置かれる存在だった。知的興味がある「できる子」にとってはモチベーションが上がる授業なのかも知れない。定期テスト問題用紙に、著作権があるのでコピーをしないとようにという趣旨の文言を始めて記載したのが、この先生だったと記憶する。過去問をコピーして生徒に配るどこかの塾の行為があまりにも目に余ったのかも知れない。

 私立には個性的な先生が多い。そして勝手な授業も許容される。それぞれの教育的な信念や教育的配慮に委ねられる。自己責任だ。それは伝統や建学の理念が検証し、最終的に卒業生や生徒、保護者、そして経営者によって信任される。

 しかし公立中学校では話は変わる。役割と機能が変わる。授業進度を早くして、宿題をどっさり出して、締め切りを守らない生徒を恫喝して、テストを難しくして、教員みんなでビビらせて、勉強させるようにすれば、それはそれは学力の平均値は上がるにきまっている。公立中学校は、高校に行くための内申点という「力」をもっているから簡単だ。進学実績も上がり、校長もほくそ笑む。ただ、これは単に全体主義的な見方で、生徒の個については何も見ようとしない図式でもある。そしてその歪んだ権力は時に、教師個人の不満のはけ口にさえなる。

 これを書くきっかけは、プリントのタイトル上のひとことである。

「できなければ人生やり直し!」

 この手の問題のネタは、出す人は解くのに少なからず苦しんだに違いないのだ。Y先生も同じだろう。笑

算数、数学ができなくたって、違う才能を見つければいい。なんでたかがこの10問で人生やり直さなければいけないの? ジョークにならんよ。先生!

2020.11.11更新|MJ通信