教育コラム 雑感
ー夏休みの自由研究 ¥1500 (8/31は在庫一掃SALE)
「メルカリ」で夏休みの宿題用の《自由研究》や《読書感想文》が売られていることが話題になっている。自由研究は1500円前後、読書感想文は500円くらいのようで、結構安く出品されている。大学生の就活用ES(エントリーシート)も売られているようだ。安い高いはともかく、宿題代行の会社だけでなく、だれかしらお手伝いしてくれる「超便利」な時代を実感する。
ますますモノを教える身として、「何をどれだけ教えナイか」が問われていると感じる。教えるのが塾の先生だから 、いやお客様からすれば、教えることの対価にお金を払っているのに、お前は何をたわけたことを言ってるのか?‥‥ 。
私にとって教えナイことはそんなに楽なことではない。すぐに教えた方が楽な場合が多い。教えナイことによって、子供たちが自分自身で考えて、答えに到達する、そして、その方がカンタンに教わるよりずっと為になるし、楽しいことを《実感》してもらわなければならないのだ。
「あ〜オソワラナクてよかった」。(笑)
教えられないことで子供がストレスを感じる様子や、仕方なくしぶしぶ一人で考えるのだが、それでも分からなくて顔が曇るのを、子供に気づかれないようにそっと見ていなければ ならない。時には、心配して、後悔する。そう《心のエネルギー》を使うのだ。(河合隼雄先生はそう表現していたと思う。)
十年くらい前、塾を含めた教育業界で「自立学習」という文言がブームになった。(人に頼らず)自分自身で、勉強していく理念?いや手法である。先生の数が少ないからだったり、教える側が楽をしたいからではないかという気がして 、どうも胡散臭くて嫌な感じだったのを思い出す。もちろん理念は立派ではあるが、「教えない先生が一番いい先生だ」ということになってしまう。現在の「反転授業」も怪しいものだ。
もちろん子供たちが自主的に学ぶことは、何より重要である。その自立は目標であって、その自立のために、生きた言葉で語らなければならないし、生きた知識や教養を教えなければならない。
結局《何を教え、何を教えない》かのバランスがまさに「指導」だと思う。対象は人間だ。能力や、性格や、依頼心の強い弱い、ストレスに対する耐性だって異なる。時間軸も考える。様々に応じる《いい塩梅》こそが指導の力であろう。
今年の夏、ある小学4年生が 箱に入った蛾《オオミズアオ》を持ってきた。「うちの学校、夏休みの自由研究はないんだけど、とって標本にしたんだ」オーロラ のように美しい羽をもつその大きな蛾を前にして、みんなで輪になって、即興の授業が始まる。箱の中にはいっているシリカゲルについてや蛾と蝶の違いなど‥‥。みんなひとかどの知識を披露し、誰が教師かわからない(笑)
売り物の読書感想文や、出来上がった自由研究をネットで買って、少し変えて写すだけ‥、みんな個性のないマニュアル君になっていく。そして学校から自由研究も読書感想文も消えていく‥‥。
みんなが教え過ぎるから。