[食す/!?]の記事一覧
素敵な森の美術館。 前日の嵐が嘘のように、雲ひとつない蒼い単色の空 こんな日、テラスのランチは贅沢だ。 高級なランチを頂くという意味ではない。 澄んだ空気と寒くも暑くもない陽気、少しだけ色づいた森と山を前に、BGMは鳥の[…] 続きを読む
素敵な森の美術館。 前日の嵐が嘘のように、雲ひとつない蒼い単色の空 こんな日、テラスのランチは贅沢だ。 高級なランチを頂くという意味ではない。 澄んだ空気と寒くも暑くもない陽気、少しだけ色づいた森と山を前に、BGMは鳥の[…]
《成蔵》で昼ご飯。 初めて見る白いトンカツだ。揚げるのを忘れたわけではない。(笑) この日のロースは東京X、ヒレとシャ豚ブリアンは煌麦豚(きらむぎとん)というブランドだ。 噛むと滴りあふれる油の上品で甘く美味しいこと[…] 続きを読む
《成蔵》で昼ご飯。 初めて見る白いトンカツだ。揚げるのを忘れたわけではない。(笑) この日のロースは東京X、ヒレとシャ豚ブリアンは煌麦豚(きらむぎとん)というブランドだ。 噛むと滴りあふれる油の上品で甘く美味しいこと[…]
よく見る天ぷらではなく、煮穴子をどんぶりにのせたこの「はかりめ丼」は富津、君津あたりの郷土料理のようだ。 アナゴの体にある側線に合わせて2列に規則正しく並ぶ白斑模様が、もともと魚市場や河岸で使われていた棒状の竿秤(さ[…] 続きを読む
よく見る天ぷらではなく、煮穴子をどんぶりにのせたこの「はかりめ丼」は富津、君津あたりの郷土料理のようだ。 アナゴの体にある側線に合わせて2列に規則正しく並ぶ白斑模様が、もともと魚市場や河岸で使われていた棒状の竿秤(さ[…]
マツコの番組を何気なく見ていたら、何か脳の記憶中枢がくすぐったくなった。 モッコリとなだらかな丘陵に盛られたご飯の上に、キーマカレーがペースト上に敷かれている絵、青い民藝調のコーヒーカップ、その横のペルシャ的なカット[…] 続きを読む
マツコの番組を何気なく見ていたら、何か脳の記憶中枢がくすぐったくなった。 モッコリとなだらかな丘陵に盛られたご飯の上に、キーマカレーがペースト上に敷かれている絵、青い民藝調のコーヒーカップ、その横のペルシャ的なカット[…]
ふだんづかいの町中華。この鍋屋は幡ヶ谷や阿佐ヶ谷にもあるが、この中村橋はあまりゴチャゴチャせず、清潔な感じは変わらない。店員も料理人も中国人、横浜の中華街ほどではないが、愛想のないぶっきらぼうの感じは共通する。よく言え[…] 続きを読む
ふだんづかいの町中華。この鍋屋は幡ヶ谷や阿佐ヶ谷にもあるが、この中村橋はあまりゴチャゴチャせず、清潔な感じは変わらない。店員も料理人も中国人、横浜の中華街ほどではないが、愛想のないぶっきらぼうの感じは共通する。よく言え[…]
信濃町の「メーヤウ」にカレーを食べに行く。4年前に他界された現在の店主である娘さんのお父様が、学生時代にタイを旅行中、現地で食べたカレーの旨さに惚れ込み、1983年にこの店を創業した。日本のタイカレーの草分けである。素[…] 続きを読む
信濃町の「メーヤウ」にカレーを食べに行く。4年前に他界された現在の店主である娘さんのお父様が、学生時代にタイを旅行中、現地で食べたカレーの旨さに惚れ込み、1983年にこの店を創業した。日本のタイカレーの草分けである。素[…]
アンティキ・サポーティとはイタリア語で「伝統的な味」。日比谷線広尾駅と西麻布交差点のちょうど中間くらいの場所にある。かの名門御三家の麻布学園方面から下ってくる鉄砲坂が外苑西通りにぶつかる角だ。このお店の原型がイタリア半[…] 続きを読む
アンティキ・サポーティとはイタリア語で「伝統的な味」。日比谷線広尾駅と西麻布交差点のちょうど中間くらいの場所にある。かの名門御三家の麻布学園方面から下ってくる鉄砲坂が外苑西通りにぶつかる角だ。このお店の原型がイタリア半[…]
だいぶ長い間お世話になった。週2回くらい通うことが続いた時もあった。 お会計をすませて、お店を出て、階段を上り、地上で天を仰いだ時の満腹の充実感、いや単に胃袋の膨満感ではない、美味しいものをお腹いっぱい食べられたこと[…] 続きを読む
だいぶ長い間お世話になった。週2回くらい通うことが続いた時もあった。 お会計をすませて、お店を出て、階段を上り、地上で天を仰いだ時の満腹の充実感、いや単に胃袋の膨満感ではない、美味しいものをお腹いっぱい食べられたこと[…]
栃木市の旅館「かな半」は江戸時代後期 安永年間に創業の旅籠だ。栃木市は小江戸と言われ、街道筋に昔ながらの街並みが残る。旅館は、栃木駅から北へ走る目抜き通り「蔵の町大通り」沿いに佇む。周囲には黒い板塀やなまこ壁、土蔵[…] 続きを読む
栃木市の旅館「かな半」は江戸時代後期 安永年間に創業の旅籠だ。栃木市は小江戸と言われ、街道筋に昔ながらの街並みが残る。旅館は、栃木駅から北へ走る目抜き通り「蔵の町大通り」沿いに佇む。周囲には黒い板塀やなまこ壁、土蔵[…]
朝はきまって、これでコーヒーを飲む。節くれだった手の農家のオヤジを、そして豊かな大地を連想する 工藤 和彦 北海道旭川に家族と共に移り住み、自分で掘った土を使って作陶する陶芸家です。またNPOラポラポラを立ち上げ、陶芸を[…] 続きを読む
朝はきまって、これでコーヒーを飲む。節くれだった手の農家のオヤジを、そして豊かな大地を連想する 工藤 和彦 北海道旭川に家族と共に移り住み、自分で掘った土を使って作陶する陶芸家です。またNPOラポラポラを立ち上げ、陶芸を[…]
70年代後半はけっこう面白い(?)時代だった。子供たちは、学校の先生を「センコー」と呼び捨て、明らかに敵意に満ちた眼光を注ぐ。僕たちには「せんせぃ」と、用もないのについて回り、やんちゃ坊主のかわいい笑顔をみせる。校内暴力吹き荒れ、暴走族が跋扈(ばっこ)する。 そう‥‥、いろいろ教育論は読んだ。林竹二、斎藤喜博‥‥、でも時代のズレを、理想と現実の断層を感じた。 イヴァン・イリイチの「脱学校化」に共感したのもこの頃だ。そこに「現代」「教育」を斬る一つの視点があった。 「学校って何」「学校がなかったら」そんな問いの答えを、今も追っている。 宙を舞うトンボを素手でつかまえようとする 子どものように [プロフィール詳細]