[よむ/きく/みる]の記事一覧
見方によって印象が変わる絵だ。もともと絵を含めて芸術的な表現はそういうものであろうが。 累々と積み重なる屍におぞましいと思わず目を背けるかも知れない。反戦、厭戦の感情がふつふつ湧き出すかも知れない。また一方で、聖戦に[…] 続きを読む
見方によって印象が変わる絵だ。もともと絵を含めて芸術的な表現はそういうものであろうが。 累々と積み重なる屍におぞましいと思わず目を背けるかも知れない。反戦、厭戦の感情がふつふつ湧き出すかも知れない。また一方で、聖戦に[…]
始まる10分前くらいから15名ほどの教室の席がどんどん埋まっていく。 いつの間にか、満席の中、黒一点になった。幅広い年齢層の女性が集まっている。かくも「アシ(リ)パ」(この〈リ〉がアイヌ語の発音上、微妙のようだ)に魅[…] 続きを読む
始まる10分前くらいから15名ほどの教室の席がどんどん埋まっていく。 いつの間にか、満席の中、黒一点になった。幅広い年齢層の女性が集まっている。かくも「アシ(リ)パ」(この〈リ〉がアイヌ語の発音上、微妙のようだ)に魅[…]
ほんの数週間前だが、もう昨年のことになる。暮れも押しせまる12月19日、澄み切った冬空の下、毎年年末恒例の東京大学と京都大学のラグビーの定期戦が行われた。両校にとって恒例である年納めの最終戦、特に4年生にとっては学生最[…] 続きを読む
ほんの数週間前だが、もう昨年のことになる。暮れも押しせまる12月19日、澄み切った冬空の下、毎年年末恒例の東京大学と京都大学のラグビーの定期戦が行われた。両校にとって恒例である年納めの最終戦、特に4年生にとっては学生最[…]
「南方ですか。それは大変でしたね……。」祖父か祖母の法事か何かで集まったジジババオッサンたちの会話から漏れてくる。戦後といっても、まだ戦地や疎開先など戦時中の有り様を語るのが自己紹介だったり、酒宴の席での会話の端緒となっ[…] 続きを読む
「南方ですか。それは大変でしたね……。」祖父か祖母の法事か何かで集まったジジババオッサンたちの会話から漏れてくる。戦後といっても、まだ戦地や疎開先など戦時中の有り様を語るのが自己紹介だったり、酒宴の席での会話の端緒となっ[…]
ふれあい広場の一画に何やら親子が集まっている。10匹ほどが箱に入った天竺ネズミを撫でたり、抱っこしたり……。ぷくぷくしたネズミたちがそろってこちらにおしりを向けて、ブルブル体をゆすっている仕草がとてもユニークで愛らしい[…] 続きを読む
ふれあい広場の一画に何やら親子が集まっている。10匹ほどが箱に入った天竺ネズミを撫でたり、抱っこしたり……。ぷくぷくしたネズミたちがそろってこちらにおしりを向けて、ブルブル体をゆすっている仕草がとてもユニークで愛らしい[…]
《ロバート・ケネディ議員凶弾に倒れる》 偶然テレビで流れたニュース速報をスタッフと観たエルビスは、その直後、年末特番のエンディングをこの曲に決める。辣腕プロデューサーにしてマネージャーであったパーカー大佐はこの曲がエル[…] 続きを読む
《ロバート・ケネディ議員凶弾に倒れる》 偶然テレビで流れたニュース速報をスタッフと観たエルビスは、その直後、年末特番のエンディングをこの曲に決める。辣腕プロデューサーにしてマネージャーであったパーカー大佐はこの曲がエル[…]
生命科学の第一線で研究活動をしていた中村桂子さんが主に若い女性に向けて発信した著書〈ふつうのおんなの子〉(2018年集英社) この本は科学の限界や文明論そして男性社会の批判からジェンダー論まで、まるで”おんなの子[…] 続きを読む
生命科学の第一線で研究活動をしていた中村桂子さんが主に若い女性に向けて発信した著書〈ふつうのおんなの子〉(2018年集英社) この本は科学の限界や文明論そして男性社会の批判からジェンダー論まで、まるで”おんなの子[…]
渋谷駅。井の頭線からJRに向かうマークシティの中を貫く通路にそのデッカい壁画はある。 〈明日の神話〉 縦5.5m横30mにおよぶ世界でも類をみないスケールだ。 1970年の大阪万博で「太陽の塔」を制作した有名な[…] 続きを読む
渋谷駅。井の頭線からJRに向かうマークシティの中を貫く通路にそのデッカい壁画はある。 〈明日の神話〉 縦5.5m横30mにおよぶ世界でも類をみないスケールだ。 1970年の大阪万博で「太陽の塔」を制作した有名な[…]
陽気な花たちに招かれる。 テーマはRADIANT FLOWERSとある。RADIANT は〈光を放つ、輝く、晴れやかな、うれしそうな、にこやかな、輝いて、……〉とある。春を凝縮してぎゅっとオニギリにしたような単語だ。[…] 続きを読む
陽気な花たちに招かれる。 テーマはRADIANT FLOWERSとある。RADIANT は〈光を放つ、輝く、晴れやかな、うれしそうな、にこやかな、輝いて、……〉とある。春を凝縮してぎゅっとオニギリにしたような単語だ。[…]
アビーリンカーン(Abbey Lincoln)とマルウォルドン(Mal Waldron)のライヴを聴きに行ったことがある。FM何とかの主催で、横浜のどこか小ホールだったと思うが、もう20年以上前のことで記憶は薄れている[…] 続きを読む
アビーリンカーン(Abbey Lincoln)とマルウォルドン(Mal Waldron)のライヴを聴きに行ったことがある。FM何とかの主催で、横浜のどこか小ホールだったと思うが、もう20年以上前のことで記憶は薄れている[…]
70年代後半はけっこう面白い(?)時代だった。子供たちは、学校の先生を「センコー」と呼び捨て、明らかに敵意に満ちた眼光を注ぐ。僕たちには「せんせぃ」と、用もないのについて回り、やんちゃ坊主のかわいい笑顔をみせる。校内暴力吹き荒れ、暴走族が跋扈(ばっこ)する。 そう‥‥、いろいろ教育論は読んだ。林竹二、斎藤喜博‥‥、でも時代のズレを、理想と現実の断層を感じた。 イヴァン・イリイチの「脱学校化」に共感したのもこの頃だ。そこに「現代」「教育」を斬る一つの視点があった。 「学校って何」「学校がなかったら」そんな問いの答えを、今も追っている。 宙を舞うトンボを素手でつかまえようとする 子どものように [プロフィール詳細]