[よむ/きく/みる]の記事一覧
僕と世界の方程式 (原題 x+y )幼い自閉症のネイサンは、彼を認め、受け入れた最愛の父を事故で失う。9歳の時である。外の世界との交流を頑なに拒む彼は、やがて天性の数学の才能が開花し、数学オリンピックの英国代表となる。あ[…] 続きを読む
僕と世界の方程式 (原題 x+y )幼い自閉症のネイサンは、彼を認め、受け入れた最愛の父を事故で失う。9歳の時である。外の世界との交流を頑なに拒む彼は、やがて天性の数学の才能が開花し、数学オリンピックの英国代表となる。あ[…]
ここに地図がある。つなぎ合わさった80㎝×110㎝の大きな地図だ。上に 「グァム島(大宮島)附近兵要地誌資料図」と右から左へ旧字体で記されている地名はすべて日本語、100を超えるポイントに特徴が仔細にぎっしり書かれている[…] 続きを読む
ここに地図がある。つなぎ合わさった80㎝×110㎝の大きな地図だ。上に 「グァム島(大宮島)附近兵要地誌資料図」と右から左へ旧字体で記されている地名はすべて日本語、100を超えるポイントに特徴が仔細にぎっしり書かれている[…]
茶房青娥 (昭和22年〜56年)は新宿東口の三越(今はビックロ)裏手から追分に延びる路地(今はない)に存在した伝説の喫茶店である。(昭和30年に区画整理により甲州街道寄りに移転) 1947年開業ということは敗戦後たっ[…] 続きを読む
茶房青娥 (昭和22年〜56年)は新宿東口の三越(今はビックロ)裏手から追分に延びる路地(今はない)に存在した伝説の喫茶店である。(昭和30年に区画整理により甲州街道寄りに移転) 1947年開業ということは敗戦後たっ[…]
ドキュメンタリー映画であるが、見終わった後、会場全体から拍手が湧き出た。それは立ち上がって「ブラボー」という派手な賛美ではなく、このアーティストである一人の女性に対する静かな敬意というのに近い。一途な求道者であり、一[…] 続きを読む
ドキュメンタリー映画であるが、見終わった後、会場全体から拍手が湧き出た。それは立ち上がって「ブラボー」という派手な賛美ではなく、このアーティストである一人の女性に対する静かな敬意というのに近い。一途な求道者であり、一[…]
脳科学と進化生物学的に、〈うつ病〉発症のメカニズムが解明されつつあるようだ。(『解釈されつつある』という方が適当かな?) ( 以下、2014年までに放映された番組をもとに構成) 鍵を握るのは「扁桃体」。扁桃とはアー[…] 続きを読む
脳科学と進化生物学的に、〈うつ病〉発症のメカニズムが解明されつつあるようだ。(『解釈されつつある』という方が適当かな?) ( 以下、2014年までに放映された番組をもとに構成) 鍵を握るのは「扁桃体」。扁桃とはアー[…]
「この世界にアイは存在しません。」 小説はこの一行から始まる。 それは、内戦のシリアに生まれ、すでに赤ちゃんの時にアメリカ人と日本人の夫妻の養子となった主人公「アイ」が、高校1年の[…] 続きを読む
「この世界にアイは存在しません。」 小説はこの一行から始まる。 それは、内戦のシリアに生まれ、すでに赤ちゃんの時にアメリカ人と日本人の夫妻の養子となった主人公「アイ」が、高校1年の[…]
奇跡がくれた数式(the man who knews infinity) ベンガル湾に面した南インドのマドラス(現在はチェンナイ)は、イギリスの植民地支配の拠点の一つだ。ここで母と極貧の生活を送るラマヌジャン[…] 続きを読む
奇跡がくれた数式(the man who knews infinity) ベンガル湾に面した南インドのマドラス(現在はチェンナイ)は、イギリスの植民地支配の拠点の一つだ。ここで母と極貧の生活を送るラマヌジャン[…]
統合失調症、以前は精神分裂症と言った。(2002年ノーマライゼーションの立場から、人格を否定するような以前の病名は変更された) この映画、その病気を自然に疑似体験している不思議な感覚にさせる。健常者も夢や妄想を[…] 続きを読む
統合失調症、以前は精神分裂症と言った。(2002年ノーマライゼーションの立場から、人格を否定するような以前の病名は変更された) この映画、その病気を自然に疑似体験している不思議な感覚にさせる。健常者も夢や妄想を[…]
《 バンドネオン》奏者の川波幸恵さんの演奏会(Live)がありました。川波さんは2015年アメリカで開催された第1回バンドネオンコンテスト”che Bandoneon competion”で優勝し[…] 続きを読む
《 バンドネオン》奏者の川波幸恵さんの演奏会(Live)がありました。川波さんは2015年アメリカで開催された第1回バンドネオンコンテスト”che Bandoneon competion”で優勝し[…]
4月11日夜11時頃、塾の帰り道。夜空を見上げると、満月が煌々と光っている。時折、薄く糸を引く雲が月の前を流れていく。風情がある。月のすぐ近くに同じくらいの明るさで輝く星があった。「春の一等星おとめ座のスピカか」い[…] 続きを読む
4月11日夜11時頃、塾の帰り道。夜空を見上げると、満月が煌々と光っている。時折、薄く糸を引く雲が月の前を流れていく。風情がある。月のすぐ近くに同じくらいの明るさで輝く星があった。「春の一等星おとめ座のスピカか」い[…]
70年代後半はけっこう面白い(?)時代だった。子供たちは、学校の先生を「センコー」と呼び捨て、明らかに敵意に満ちた眼光を注ぐ。僕たちには「せんせぃ」と、用もないのについて回り、やんちゃ坊主のかわいい笑顔をみせる。校内暴力吹き荒れ、暴走族が跋扈(ばっこ)する。 そう‥‥、いろいろ教育論は読んだ。林竹二、斎藤喜博‥‥、でも時代のズレを、理想と現実の断層を感じた。 イヴァン・イリイチの「脱学校化」に共感したのもこの頃だ。そこに「現代」「教育」を斬る一つの視点があった。 「学校って何」「学校がなかったら」そんな問いの答えを、今も追っている。 宙を舞うトンボを素手でつかまえようとする 子どものように [プロフィール詳細]