ドキュメンタリー映画であるが、見終わった後、会場全体から拍手が湧き出た。それは立ち上がって「ブラボー」という派手な賛美ではなく、このアーティストである一人の女性に対する静かな敬意というのに近い。一途な求道者であり、一[…] 続きを読む
ドキュメンタリー映画であるが、見終わった後、会場全体から拍手が湧き出た。それは立ち上がって「ブラボー」という派手な賛美ではなく、このアーティストである一人の女性に対する静かな敬意というのに近い。一途な求道者であり、一[…]
脳科学と進化生物学的に、〈うつ病〉発症のメカニズムが解明されつつあるようだ。(『解釈されつつある』という方が適当かな?) ( 以下、2014年までに放映された番組をもとに構成) 鍵を握るのは「扁桃体」。扁桃とはアー[…] 続きを読む
脳科学と進化生物学的に、〈うつ病〉発症のメカニズムが解明されつつあるようだ。(『解釈されつつある』という方が適当かな?) ( 以下、2014年までに放映された番組をもとに構成) 鍵を握るのは「扁桃体」。扁桃とはアー[…]
栃木市の旅館「かな半」は江戸時代後期 安永年間に創業の旅籠だ。栃木市は小江戸と言われ、街道筋に昔ながらの街並みが残る。旅館は、栃木駅から北へ走る目抜き通り「蔵の町大通り」沿いに佇む。周囲には黒い板塀やなまこ壁、土蔵[…] 続きを読む
栃木市の旅館「かな半」は江戸時代後期 安永年間に創業の旅籠だ。栃木市は小江戸と言われ、街道筋に昔ながらの街並みが残る。旅館は、栃木駅から北へ走る目抜き通り「蔵の町大通り」沿いに佇む。周囲には黒い板塀やなまこ壁、土蔵[…]
「この世界にアイは存在しません。」 小説はこの一行から始まる。 それは、内戦のシリアに生まれ、すでに赤ちゃんの時にアメリカ人と日本人の夫妻の養子となった主人公「アイ」が、高校1年の[…] 続きを読む
「この世界にアイは存在しません。」 小説はこの一行から始まる。 それは、内戦のシリアに生まれ、すでに赤ちゃんの時にアメリカ人と日本人の夫妻の養子となった主人公「アイ」が、高校1年の[…]
奇跡がくれた数式(the man who knews infinity) ベンガル湾に面した南インドのマドラス(現在はチェンナイ)は、イギリスの植民地支配の拠点の一つだ。ここで母と極貧の生活を送るラマヌジャン[…] 続きを読む
奇跡がくれた数式(the man who knews infinity) ベンガル湾に面した南インドのマドラス(現在はチェンナイ)は、イギリスの植民地支配の拠点の一つだ。ここで母と極貧の生活を送るラマヌジャン[…]
統合失調症、以前は精神分裂症と言った。(2002年ノーマライゼーションの立場から、人格を否定するような以前の病名は変更された) この映画、その病気を自然に疑似体験している不思議な感覚にさせる。健常者も夢や妄想を[…] 続きを読む
統合失調症、以前は精神分裂症と言った。(2002年ノーマライゼーションの立場から、人格を否定するような以前の病名は変更された) この映画、その病気を自然に疑似体験している不思議な感覚にさせる。健常者も夢や妄想を[…]
ふと電車の中や地下道の柱のポスターが眼に入る。そのキャッチコピーに思わず唸ったり、しばらく頭にこびりついて離れなかったことがあった。どれくらい前であろうか、企業も潤沢な広告予算を使い、紙の広告全盛の時代だったのかも知れ[…] 続きを読む
ふと電車の中や地下道の柱のポスターが眼に入る。そのキャッチコピーに思わず唸ったり、しばらく頭にこびりついて離れなかったことがあった。どれくらい前であろうか、企業も潤沢な広告予算を使い、紙の広告全盛の時代だったのかも知れ[…]
《 バンドネオン》奏者の川波幸恵さんの演奏会(Live)がありました。川波さんは2015年アメリカで開催された第1回バンドネオンコンテスト”che Bandoneon competion”で優勝し[…] 続きを読む
《 バンドネオン》奏者の川波幸恵さんの演奏会(Live)がありました。川波さんは2015年アメリカで開催された第1回バンドネオンコンテスト”che Bandoneon competion”で優勝し[…]
もういつ頃かは忘れた。二十年以上前であることだけは確かだ。近くの煙草屋にたばこを買いに行った。僕自身のもの、親父の遣いであったかも定かではない。年末であったかもしれない。 正月用のまとめ買いか、 そんな記憶の切れ端が[…] 続きを読む
もういつ頃かは忘れた。二十年以上前であることだけは確かだ。近くの煙草屋にたばこを買いに行った。僕自身のもの、親父の遣いであったかも定かではない。年末であったかもしれない。 正月用のまとめ買いか、 そんな記憶の切れ端が[…]
4月11日夜11時頃、塾の帰り道。夜空を見上げると、満月が煌々と光っている。時折、薄く糸を引く雲が月の前を流れていく。風情がある。月のすぐ近くに同じくらいの明るさで輝く星があった。「春の一等星おとめ座のスピカか」い[…] 続きを読む
4月11日夜11時頃、塾の帰り道。夜空を見上げると、満月が煌々と光っている。時折、薄く糸を引く雲が月の前を流れていく。風情がある。月のすぐ近くに同じくらいの明るさで輝く星があった。「春の一等星おとめ座のスピカか」い[…]
70年代後半はけっこう面白い(?)時代だった。子供たちは、学校の先生を「センコー」と呼び捨て、明らかに敵意に満ちた眼光を注ぐ。僕たちには「せんせぃ」と、用もないのについて回り、やんちゃ坊主のかわいい笑顔をみせる。校内暴力吹き荒れ、暴走族が跋扈(ばっこ)する。 そう‥‥、いろいろ教育論は読んだ。林竹二、斎藤喜博‥‥、でも時代のズレを、理想と現実の断層を感じた。 イヴァン・イリイチの「脱学校化」に共感したのもこの頃だ。そこに「現代」「教育」を斬る一つの視点があった。 「学校って何」「学校がなかったら」そんな問いの答えを、今も追っている。 宙を舞うトンボを素手でつかまえようとする 子どものように [プロフィール詳細]