子供たちにとって、お菓子というのは絶対的守護神だ。 小分けした菓子の袋でも見つけようものなら、たちまち顔がほころび、 一気に空気が柔らかく変わる。お菓子は、それほどの神通力を秘めている。 その昔、砂糖で甘くした餡子にどれ[…] 続きを読む
子供たちにとって、お菓子というのは絶対的守護神だ。 小分けした菓子の袋でも見つけようものなら、たちまち顔がほころび、 一気に空気が柔らかく変わる。お菓子は、それほどの神通力を秘めている。 その昔、砂糖で甘くした餡子にどれ[…]
バンドネオン奏者小松亮太の2月以来、7ヶ月ぶりのコンサート。コロナの影響で20回近いライブが中止や延期となった。一つずつ開けて席に座るようにしてあるので、満員といっても500人くらい。彼の顔には、久しぶりに演奏できる喜[…] 続きを読む
バンドネオン奏者小松亮太の2月以来、7ヶ月ぶりのコンサート。コロナの影響で20回近いライブが中止や延期となった。一つずつ開けて席に座るようにしてあるので、満員といっても500人くらい。彼の顔には、久しぶりに演奏できる喜[…]
素敵な森の美術館。 前日の嵐が嘘のように、雲ひとつない蒼い単色の空 こんな日、テラスのランチは贅沢だ。 高級なランチを頂くという意味ではない。 澄んだ空気と寒くも暑くもない陽気、少しだけ色づいた森と山を前に、BGMは鳥の[…] 続きを読む
素敵な森の美術館。 前日の嵐が嘘のように、雲ひとつない蒼い単色の空 こんな日、テラスのランチは贅沢だ。 高級なランチを頂くという意味ではない。 澄んだ空気と寒くも暑くもない陽気、少しだけ色づいた森と山を前に、BGMは鳥の[…]
一徹なアーティスト、そして風の詩人に遭う。 順路に沿って、田中の若き時代から晩年までの制作の軌跡を辿る。 田中信太郎 1940年生まれ 19歳で二紀展の褒賞を受けた美術界の新星 20歳で日本の反芸術運動の旗手であった[…] 続きを読む
一徹なアーティスト、そして風の詩人に遭う。 順路に沿って、田中の若き時代から晩年までの制作の軌跡を辿る。 田中信太郎 1940年生まれ 19歳で二紀展の褒賞を受けた美術界の新星 20歳で日本の反芸術運動の旗手であった[…]
《成蔵》で昼ご飯。 初めて見る白いトンカツだ。揚げるのを忘れたわけではない。(笑) この日のロースは東京X、ヒレとシャ豚ブリアンは煌麦豚(きらむぎとん)というブランドだ。 噛むと滴りあふれる油の上品で甘く美味しいこと[…] 続きを読む
《成蔵》で昼ご飯。 初めて見る白いトンカツだ。揚げるのを忘れたわけではない。(笑) この日のロースは東京X、ヒレとシャ豚ブリアンは煌麦豚(きらむぎとん)というブランドだ。 噛むと滴りあふれる油の上品で甘く美味しいこと[…]
よく見る天ぷらではなく、煮穴子をどんぶりにのせたこの「はかりめ丼」は富津、君津あたりの郷土料理のようだ。 アナゴの体にある側線に合わせて2列に規則正しく並ぶ白斑模様が、もともと魚市場や河岸で使われていた棒状の竿秤(さ[…] 続きを読む
よく見る天ぷらではなく、煮穴子をどんぶりにのせたこの「はかりめ丼」は富津、君津あたりの郷土料理のようだ。 アナゴの体にある側線に合わせて2列に規則正しく並ぶ白斑模様が、もともと魚市場や河岸で使われていた棒状の竿秤(さ[…]
マツコの番組を何気なく見ていたら、何か脳の記憶中枢がくすぐったくなった。 モッコリとなだらかな丘陵に盛られたご飯の上に、キーマカレーがペースト上に敷かれている絵、青い民藝調のコーヒーカップ、その横のペルシャ的なカット[…] 続きを読む
マツコの番組を何気なく見ていたら、何か脳の記憶中枢がくすぐったくなった。 モッコリとなだらかな丘陵に盛られたご飯の上に、キーマカレーがペースト上に敷かれている絵、青い民藝調のコーヒーカップ、その横のペルシャ的なカット[…]
ふだんづかいの町中華。この鍋屋は幡ヶ谷や阿佐ヶ谷にもあるが、この中村橋はあまりゴチャゴチャせず、清潔な感じは変わらない。店員も料理人も中国人、横浜の中華街ほどではないが、愛想のないぶっきらぼうの感じは共通する。よく言え[…] 続きを読む
ふだんづかいの町中華。この鍋屋は幡ヶ谷や阿佐ヶ谷にもあるが、この中村橋はあまりゴチャゴチャせず、清潔な感じは変わらない。店員も料理人も中国人、横浜の中華街ほどではないが、愛想のないぶっきらぼうの感じは共通する。よく言え[…]
隈研吾は若くしてM2ビルの設計を手がける。若干34歳。総工費25億円を新進気鋭の建築家に託すことができたのもバブル時代のなせる業だ。 「二項対立構造とポストモダニズムの両方を批判する」彼は言った。まずモダニズムの象徴で[…] 続きを読む
隈研吾は若くしてM2ビルの設計を手がける。若干34歳。総工費25億円を新進気鋭の建築家に託すことができたのもバブル時代のなせる業だ。 「二項対立構造とポストモダニズムの両方を批判する」彼は言った。まずモダニズムの象徴で[…]
信濃町の「メーヤウ」にカレーを食べに行く。4年前に他界された現在の店主である娘さんのお父様が、学生時代にタイを旅行中、現地で食べたカレーの旨さに惚れ込み、1983年にこの店を創業した。日本のタイカレーの草分けである。素[…] 続きを読む
信濃町の「メーヤウ」にカレーを食べに行く。4年前に他界された現在の店主である娘さんのお父様が、学生時代にタイを旅行中、現地で食べたカレーの旨さに惚れ込み、1983年にこの店を創業した。日本のタイカレーの草分けである。素[…]
70年代後半はけっこう面白い(?)時代だった。子供たちは、学校の先生を「センコー」と呼び捨て、明らかに敵意に満ちた眼光を注ぐ。僕たちには「せんせぃ」と、用もないのについて回り、やんちゃ坊主のかわいい笑顔をみせる。校内暴力吹き荒れ、暴走族が跋扈(ばっこ)する。 そう‥‥、いろいろ教育論は読んだ。林竹二、斎藤喜博‥‥、でも時代のズレを、理想と現実の断層を感じた。 イヴァン・イリイチの「脱学校化」に共感したのもこの頃だ。そこに「現代」「教育」を斬る一つの視点があった。 「学校って何」「学校がなかったら」そんな問いの答えを、今も追っている。 宙を舞うトンボを素手でつかまえようとする 子どものように [プロフィール詳細]