今日は、雑司が谷からさくらトラム(旧都電 チンチン電車)で いざ北区の飛鳥山へ。渋沢栄一をテーマにさあ散策だ! せっかく(?) 雑司谷に来たから、霊園に行き、明治の文豪『夏目漱石』の墓参をする。渋沢栄一と漱石、同時[…] 続きを読む
今日は、雑司が谷からさくらトラム(旧都電 チンチン電車)で いざ北区の飛鳥山へ。渋沢栄一をテーマにさあ散策だ! せっかく(?) 雑司谷に来たから、霊園に行き、明治の文豪『夏目漱石』の墓参をする。渋沢栄一と漱石、同時[…]
中野区発達支援啓発事業区民後援会
街探訪の続きー 山谷から「土手の伊勢屋」の前を通り、吉原大門の交差点に着く。江戸から明治までの約300年にわたり、形を変え、質を変えて脈々と続いた大人のテーマパークがあったところだ。廓の中に閉じ込められた遊女たちの悲し[…] 続きを読む
街探訪の続きー 山谷から「土手の伊勢屋」の前を通り、吉原大門の交差点に着く。江戸から明治までの約300年にわたり、形を変え、質を変えて脈々と続いた大人のテーマパークがあったところだ。廓の中に閉じ込められた遊女たちの悲し[…]
2009年,二百年ぶりに「新しい青」が発見された。インミンブルーという。アメリカのオレゴン州立大学、材料工学を専門とするサブラマニアン教授のチームが 、全く用途の違う新しい素材を探し求める研究の最中に起こった偶然の産[…] 続きを読む
2009年,二百年ぶりに「新しい青」が発見された。インミンブルーという。アメリカのオレゴン州立大学、材料工学を専門とするサブラマニアン教授のチームが 、全く用途の違う新しい素材を探し求める研究の最中に起こった偶然の産[…]
秋の夕暮 光が丘の仕事場の4階から西の方向に目を向ける。地面から焼けるように鮮やかな朱色のボーダーの上に、富士山のマットブラックの陰影、その右上に三日月、向かい合うように左の上には金星が煌く。空は息を呑むほどに繊[…] 続きを読む
秋の夕暮 光が丘の仕事場の4階から西の方向に目を向ける。地面から焼けるように鮮やかな朱色のボーダーの上に、富士山のマットブラックの陰影、その右上に三日月、向かい合うように左の上には金星が煌く。空は息を呑むほどに繊[…]
今日は、三ノ輪駅から出発して約3㎞の街探訪です。生粋の地元っ子でボランティアでガイドもする教員仲間、社会のS先生に案内してもらえる幸運に恵まれました。 &nbs[…] 続きを読む
今日は、三ノ輪駅から出発して約3㎞の街探訪です。生粋の地元っ子でボランティアでガイドもする教員仲間、社会のS先生に案内してもらえる幸運に恵まれました。 &nbs[…]
港区発達支援センター主催 講師 相模女子大学人間社会学部/子育て支援センター 日戸由刈 発達障害の多くが、自閉症スペクトラム症要素を持つ。すなわち少し変わっている人や集団に馴染みにくいという特性をもつ。生きる意欲をいい状[…] 続きを読む
港区発達支援センター主催 講師 相模女子大学人間社会学部/子育て支援センター 日戸由刈 発達障害の多くが、自閉症スペクトラム症要素を持つ。すなわち少し変わっている人や集団に馴染みにくいという特性をもつ。生きる意欲をいい状[…]
今年の《危険な暑さ》真っ盛りの鑑賞会、冒頭の「お〜 さぶっ(寒)」はかなりな違和感だ (笑)印象的なラストシーン、《りん》があっちへ行くべきか、壁の内に止まるべきか‥‥、淡々と、そして容赦なくこの難問を突き刺す。最近[…] 続きを読む
今年の《危険な暑さ》真っ盛りの鑑賞会、冒頭の「お〜 さぶっ(寒)」はかなりな違和感だ (笑)印象的なラストシーン、《りん》があっちへ行くべきか、壁の内に止まるべきか‥‥、淡々と、そして容赦なくこの難問を突き刺す。最近[…]
仕事が終わり、帰ろうと思うと卒業生が訪ねてくる。どうやら電気がついているのを見上げて足が向くようだ。わりとよくあることだが、終わる時間が夜の11時すぎなので、話し込むと《次の日》になる。彼らはこの光が丘がホームタウンだが[…] 続きを読む
仕事が終わり、帰ろうと思うと卒業生が訪ねてくる。どうやら電気がついているのを見上げて足が向くようだ。わりとよくあることだが、終わる時間が夜の11時すぎなので、話し込むと《次の日》になる。彼らはこの光が丘がホームタウンだが[…]
私立中高一貫のA女子高校の ある英語の授業では、春、夏、冬の各休み中に、洋画を字幕で観るという課題がある。わりと伝統になっている課題のようである。もちろん英語の授業の課題だから、日本語吹き替えはだめだ。TSU○○Y[…] 続きを読む
私立中高一貫のA女子高校の ある英語の授業では、春、夏、冬の各休み中に、洋画を字幕で観るという課題がある。わりと伝統になっている課題のようである。もちろん英語の授業の課題だから、日本語吹き替えはだめだ。TSU○○Y[…]
70年代後半はけっこう面白い(?)時代だった。子供たちは、学校の先生を「センコー」と呼び捨て、明らかに敵意に満ちた眼光を注ぐ。僕たちには「せんせぃ」と、用もないのについて回り、やんちゃ坊主のかわいい笑顔をみせる。校内暴力吹き荒れ、暴走族が跋扈(ばっこ)する。 そう‥‥、いろいろ教育論は読んだ。林竹二、斎藤喜博‥‥、でも時代のズレを、理想と現実の断層を感じた。 イヴァン・イリイチの「脱学校化」に共感したのもこの頃だ。そこに「現代」「教育」を斬る一つの視点があった。 「学校って何」「学校がなかったら」そんな問いの答えを、今も追っている。 宙を舞うトンボを素手でつかまえようとする 子どものように [プロフィール詳細]