今年の7月8日、新型コロナウィルスの影響でアメリカのブルックスブラザーズは経営破綻した。70年代の終わり、以前は商工業の中心街であったLAのダウンタウン、ここにヒスパニック系の移民が集まり住むようになると、比較的所得の高い白人たちは、放射状に拡散し、郊外に移住する。たしかにダウンタウンの外側は、全盛期を過ぎたように、灰色や黒ずんだ青の壁や塀にスプレーの落書きが目立っていて、その記憶とともに、こうして目を閉じると、生臭いゴミのにおいも漂ってくる感じがする。まあ何せ30年以上昔の事であるのでいろいろな記憶がミックスされ、実はまったくのフィクションかもしれない。(笑)
少なくとも二十歳過ぎくらいまで、知らず知らず白人至上主義文化の明るく元気な上澄みを栄養ドリンクのように日々飲んで育った僕は、その光景に違和感を覚えたはずだ。その、時間が止まったゴーストタウンのような風景に、アメリカの陰影のようなものを垣間見た気がした。いやしたと思う。
ダウンタウンの中心付近に、「Brooks Brothers」はある。アメリカントラッドの聖地だ。東海岸の有名大学のおぼっちゃんたちのニートなファッションが「アイビー」として若者のファッショントレンドになり、一世を風靡したのが60年代の半ば、いわゆる団塊の世代が若者の時である。僕たちの世代では、すっかり日本に定着したこのアイビースタイルを「VAN」が率い、一方で「JUN」がリードするヨーロピアン(と呼んでいた)の二元論が時代を覆っていた。基本的に、若者はどっちを選択するかを迫られる。アイビーの素っ気ないカジュアルファッションに対抗する勢力であったわけだが、どういう流れでそうなったのかは知らない。
アイビーリーガーたちは、やがて卒業し、一流企業に勤め、学者になり、官僚や政治家となって、アメリカの中枢でシンボリックな白人至上主義のホワイトカラーとして活躍する。いわゆるエスタブリッシュメントだ。その人種御用達のスタイルが《トラッド》だ。ずっと形を変えずに変わらず守っていくべきスタイルをtraditionの上をとってトラッドとなった。正式にファッション用語なのかどうかはわからない。
ニューヨークマンハッタンの1号店の創業が1818年、日本では江戸時代後期、幕末の志士たちがちょうど生まれたくらいの頃である。202年間守った呉服屋の看板をこのコロナをきっかけに下ろすといったところであろうか。ロサンゼルスのダウンタウン店は71年間の営業というから、若かりしクリントイーストウッドがスーツを仕立て、今はゴールデンフリースのポロシャツを着て、ロッキングチェアで昼寝でもしている感じだろうか。イーストウッドがブルックスに行ったかどうかはわからないが 笑
大学の夏休みに友人4人と行ったアメリカ旅行、僕にとっては初めての海外旅行だった。カリフォルニア州を上から下へオールズモビルのレンタカーで縦断する珍道中だった。聖地「Brooks Brothers」は、僕たちにとっても古き良きアメリカの象徴である。店で買ったのは写真のツィードのパッチワーク仕立てのハンチング、ただそれだけだった。かといって値段はそれほど高かった記憶はない。裏地が赤い布で金色のロゴがプリントされていた。一瞬で目が釘付けになった。なぜかこれだけ手にすればそれで十分だった。移動の際、円筒形の大きな包装された箱はとてもかさばるものだった。それが紳士の文化的、歴史的アイテムなのだろう。
大学時代の僕は、四六時中、Tシャツとジーパンにこのお気に入りのハンチングという出で立ちだった気がする。おかげでその後は、内張の布もボロボロで、金のプリントも擦れて見えない。大学祭でも、その格好でピザを売っていた。まあ、テキ屋のおっさんだな。エスタブリッシュとは対極で、ブルックスブラザーズの香りはこれっぽっちもなかっただろう。笑
Brooks Brothersの破綻は違う意味でシンボリックだと思う。白人中心のきわめて保守的な古き良きアメリカの終焉だ。ナチュラルショルダーは永遠ではなかった。いやとっくに終わっているのだろうが、人々はトランプ大統領がもう一度アメリカンドリームを見せてくれることを期待した。
今年11月、大統領選挙がある。《アメリカ》の苦悩は深い。
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