隈研吾は若くしてM2ビルの設計を手がける。若干34歳。総工費25億円を新進気鋭の建築家に託すことができたのもバブル時代のなせる業だ。
「二項対立構造とポストモダニズムの両方を批判する」彼は言った。まずモダニズムの象徴である大きな箱型の構造はやめて、近代的な新素材のカーテンウォールなどを用いる。一方で、ポストモダンの記号として、古代ギリシア中期のイオニア式柱頭を掲げる。それぞれの時代の表象である断片を共存させた。
この、趣味の悪い荒唐無稽(?)な建造物は、批評家から建築界から痛烈にバッシングされる。じきにバブルは崩壊する。そして1990年代、隈は派手な建築の表舞台から影をひそめる。僕も、M2ビルの安易な《混ぜこぜ》と、カタカナを多用した意味がわからん隈の屁理屈に幻滅したものだ。(私のまったくたよりない読解力は棚に上げておくが 笑)
30年ぶりに、隈研吾と回合する。《角川武蔵野ミュージアム》の竣工記念イベントの「隈研吾展」を勝手に見に来ただけだが‥‥。(笑)
今や当代随一という程の人気の建築家であり、東大教授でもある。世界二十ヶ国以上で設計に携わる。もちろん、どこか地方の歌舞伎舞台や歌舞伎座のリニューアル、そして国立競技場などを手掛けてきたことは知っているが、ちゃんと彼の作品や思いを見て、感じて、鑑賞するのは久しぶりだ。
隈は語る。この東所沢の土地、石という素材のこと、様々な有機的な関連の中で、この建造物の必然について物語る。そして彼自身の辿り着いた境地を。やはり理屈っぽさはさらに完熟した感じだ。ただし横文字やカタカナはずいぶん少なくなってわかりやすい。「新しい建築」や「新しさ」をさかんに連発する。建築界の中で一流の建築家として生き残るためには、自己の作品の優位性を主張しなければならない。建築は理念や感性を説得力をもって伝えることが必要な芸術である。
もちろん物語るということは大切である。現代は新しい神話を必要とする。
「20世紀は鉄とコンクリートというごく限られた材料で、形を競うというのが建築の有り様だった。特にコンクリートの建築に対してたいへん不満だった。その素材を木と石に変えた。素材を変えることで、新しい建築が生まれた。木の建築の集大成が国立競技場、石の建築の頂点が、この角川ミュージアムだ。大地がそのまま建築になった。」
コンクリートの建築では安藤忠雄が先んじる。あえて彼に対峙するポジションをとって自分の位置を誇示するようにも思えてしまう。
この角川さくらタウン、角川グリープの新社屋。アニメホテル、印刷所、ミュージアム、イベントホール、書店、おまけに神社もある。おまけに神社とはバチが当たってしまう。笑
いっときの暑さが盛りが過ぎた爽やかな青空に、この灰色の多面体がよく映える。形も材料も斬新なのだろうが、あまりそうは感じない。ワクワクと感動するというより、むしろしっとりと落ち着く感じだ。攻めているようで、一歩引いているかんじがする。これが隈研吾の真骨頂なのかもしれない。彼は、生来、個性的な芸術家肌というより進取の気勢に溢れる一人の技術者なのもしれない。だから、才気走るデザイナーを演じる。突っ張らなければならないし、理論武装も必要になる。
数日後、たまたま渋谷で宮益坂の下から駅方向を見上げていた。JRの進行の向きに銀座線が垂直に入っていく。その向こう側の青いビルが目を引く。青い晴天によく映える。ビルの下の方の角の一部、何か食肉の一部が削げ、アバラ骨が浮き出している感じのデザインがある。解体現場の剥き出しの鉄筋とコンクリート、はたまた壊れて廃棄されるロボットのスケルトンの中空とでもいった方がスマートか。笑
「ん? 都会的で、かっこいい!」と思った。
スクランブルスクエア これも隈研吾の作品だと知った。
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