子供たちにとって、お菓子というのは絶対的守護神だ。
小分けした菓子の袋でも見つけようものなら、たちまち顔がほころび、
一気に空気が柔らかく変わる。お菓子は、それほどの神通力を秘めている。
その昔、砂糖で甘くした餡子にどれだけの憧憬を抱いたことであろう。
江戸中期に桜餅や金つばが生まれ、大福のデビューもこの頃だ。江戸後期〜幕末期にどら焼きや今川焼そして最中など、砂糖の製造の発展と相まって、今の和菓子のほとんどが江戸時代につくられた。
1771年(明和8年)、江戸・小石川箪笥町の未亡人おたよが、それまで塩味だった鶉餅で砂糖(黒糖?)を加えたあんこを包んだ特大の腹太餅(はらぶともち)という名で売り出し、腹もちがいいと大人気を博し、その後、大腹餅そして大福餅と変遷した大福誕生の経緯が江戸時代の《宝暦現来集》にある。
江戸時代に現在まで続く和菓子の基盤はできるが、生菓子を扱う江戸時代創業の老舗和菓子屋は珍しい。榮太郎は、江戸末期安政の時代に日本橋で創業し、「西河岸大福」は、小腹をすかせた魚河岸の若い衆に大評判だったとある。(榮太郎HP)老舗中の老舗だ。他のほとんどの店は明治以降の開業である。室町時代創業の《とらや》は、文明開化の音とともに東京にやって来た。
菓子はもともと天皇や公家に供される特別なものだったのだろう。そして添加物のない大福は皮がガサガサになって日もちもしない。何よりごく贅沢品だった白砂糖が庶民に行きわたるにはもう少し待たなければならない。
《郡林堂》は大正5年創業の老舗。
甘くて皮が厚い 素朴で美味しい
でもじきに皮が硬くなる
昼に甘さを欲する時はこれがいい。
きっと、多くの人がこれを食べないと一日が始まらない いや終わらないと言ったであろう。そして多くの子供たちは、この甘美な誘惑を、指を加えて想像したに違いない。または、一個の大福の取り合いで、どれだけ取っ組み合いの兄弟喧嘩があったか、きっと枚挙にいとまがない筈だ。笑
原宿の瑞穂は昭和56年「岡埜榮泉」に勤めた店主が開業した店。今は東京の大福の三大名店の一つに数えられる。
柔らかくて品がいい、甘味もさっぱりとしている。仙太郎の豆大福だ。
夕飯が終わった後のデザートにはこのくらいのがちょうどいい。
そして気軽に食べられるのが、セブンの「豆いっぱいの豆大福」。
ふだんづかいにはこれで十分。
和菓子は「大福に始まり、大福に終わる」というと聞く。フランス料理は「オムレツに始まり、オムレツに終わる」男のファッションでは「スーツに始まり〜」と、いろいろなジャンルで常套句だが、ことの真実はわからないが、とにかく、
このシンプルさを愛さずにはいられない。
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