ランチでGO!!
浅草「來々軒」のらうめんー再現プロジェクト

 今日の昼はラーメンのルーツを食べる。

 麺は、すべすべつるつるの細麺、滝のようにスーッと喉を降りていく滑らかさ。コシがあって美味しい。チャーシューはあの周りが焦げて内側が紅ををさしたように赤みをさしている。よく中国料理の前菜に出てくるアレだが、しっかり味のついた厚めに切ったこれは旨い。スープは煮干や鰹節の香りも味もしないすスッと澄んだ醤油ベースの直球勝負。ミジンのネギがいっぱい浮かんでいる。食べた後は油でくちびるがプックリするがあっさりした感じだ。

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 明治43年、創業者で横浜税関の役人だった尾崎貫一氏は、横浜の中華街から中国人コックを引き連れて当時の歓楽の中心、浅草新畑町3番地(現在の浅草1丁目)に《來々軒》を創業する。当時ラーメンというコトバはまだなかった時代だが、支那そば、ワンタン、シウマイを出す、安くて腹一杯になる庶民の食堂として爆発的に評判を呼び、多い時は一日25003000人の客が来る浅草の名物店となった。この後、全国でこのような気軽に食べられる中華屋やラーメン屋は増え続け、庶民の味として定着する起源となる。

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今回の淺草《來々軒》の再現プロジェクトは、「新横浜ラーメン博物館」が1991年の開館準備以来約10年にわたって調査や研究を続け、ラーメンの鬼と異名をとってテレビにも出演されていた故佐野実氏の「支那そばや」の代表で実氏の奥様の佐野しおりさんを中心としたスタッフで調理や味の再現と店の運営をする、そして《來々軒》創業者尾崎貫一氏のお孫さんで、店の味を知る高橋邦夫氏そして玄孫高橋後押しするという3者で取り組んで実現した。

 再現には妥協はない。小麦も当時の粉を探し、麺は昭和56年頃まで行われていた中国式の青竹打ちも再現している。限定数の100食作るだけでも6時間かかるそうだ。証言と史実からスープは鳥と豚と野菜ベース、醤油は当時と同じヤマサの濃口でも国産の丸大豆を用いるなど、限りなく当時に近いものを求める過程で、現代流にアレンジして仕上げた作品といえる。

 ラーメン博物館がまさに博物館だと威光を放った価値あるお腹いっぱいの企画だ。

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