アビーリンカーン(Abbey Lincoln)とマルウォルドン(Mal Waldron)のライヴを聴きに行ったことがある。FM何とかの主催で、横浜のどこか小ホールだったと思うが、もう20年以上前のことで記憶は薄れている。いちおう妻に確認すると、結婚前のクリスマスの日のデートだったらしい。あまりの寒さで、その日の後で僕が痔が悪化して病院に駆け込んだということで、よく覚えていたらしい。消したい記憶だが。(笑)
当時からアビーの声が何とも好きだった。飾らないアフリカ的な泥臭さの中の洗練された透き通った歌声に惹かれる。彼女が27歳の時のアルバム「That’s Him!」は、今でもよく聴く。ライヴの時は70に近い頃だと思うが、ジャズボーカルは、人生経験を積んだ「老い」によって一層魅力的に響くことも多い。いや、ジャズボーカルに限らず、歌は若い頃もいいが歳を重ねてからもまたちがう味わいがあるということだ。イヴモンタンのシャンソンしかり。今流に言うと、味変(アジヘン)といったところかもしれない。ビリーホリデイ(Billie Holiday) の再来とも後継ともいわれたアビーは、ビリーを敬愛し「アビー・シングス・ビリー・ホリデイ」なるトリビュートアルバムも2作発表している。
一方で、ピアノのマルウォルドンはビリーが1959年に亡くなる時までの数年間、彼女の専属バンドのトリオを結成していた。
そのライヴで最後にアビーが歌ったのが、マルが作曲しビリーが詩を書いた「レフトアローン」(Left Alone)。1960年のマルのアルバム「レフトアローン」は、亡きビリーに代わってジャッキーマクリーンがあの泣き節で吹く名盤だ。翌年にはアビーがマルの伴奏でこの曲を歌っている。まさにビリーへのレクイエムだろう。
このビリーホリデイが1939年に出したシングルが「Strange Fruit 」(奇妙な果実)である。Jazz ともブルースともR&Bでもない、ブルース風シャンソンとでも言えば近いか。歌の語り部と化す。神妙に、淡々と唄う。迫力あるドスのきいた低温から独特な喉の使い方で、様々な音色を奏でる個性的な歌唱が耳に残る。そしてこの曲は、ライヴの最後に必ず歌う曲として、彼女の分身のようになっていく。
Strange Fruit 奇妙な果実
Southern trees bear strange fruit, 南部の木々は奇妙な実をつける
Blood on the leaves and blood at the root, 葉の上にも血 根元にも血
Black bodies swinging in the southern breeze,黒い身体が南部の風に揺れる
Strange fruit hanging from the poplar trees. ポプラの木に吊り下がった奇妙な果実
‥‥(続く)
目を覆うほど残酷な写真がある。木々に吊り下げられた黒人たちの無惨な死体だ。これが絵葉書になるほど、黒人の虐待やリンチ殺人が日常茶飯事だった時代。法的には奴隷制度はなくなったとはいえ、ジム・クロウ法(1876年〜1964年)が黒人を隔離することを保証し、結局差別を正当化していた時代である。特に南部は酷かった。この曲は、たまたま出会ったその写真をモチーフに、共産主義者の白人エイベル・ミーアポール(ルイス・アラン)が詩と曲をつけてできた。
1930年代から少しずつ歌われ続けて、たどり着いたのがビリーということになる。その昔のプロテストソングには違いないが、ビリーは、ボブディランのように、告発や批判のために歌ったわけではない。彼女は才能溢れる一介のシンガーだ。様々な黒人差別を個人的に感じることはあっただろうが、彼女と曲の出会いはショービズの中に組み込まれた結果と言えるかも知れない。しかし、結果的にビリーの表現がそのおぞましい事実を伝え、浸透させていったことも事実だ。
アビー・リンカーンとほぼ同じ時代をを生きた黒人女性アーティストがニーナ・シモンだ。やがて彼女はビリー・ホリデイのこの「Strange Fruit」 (奇妙な果実)を、哀しみと怒りの抑揚をつけて歌い継いでいく。
少女時代から黒人初のクラシックピアノの演奏者を目指し、差別によって夢叶わずクラブ歌手となったニーナは、高い音楽性に裏付けられた独特な感性と深みのある低音で曲を操る 。50年代から公民権運動は盛り上がっていくが、同時にそれを阻止する白人至上主義の活動も勢いを増す。63年、アラバマでkkkによる黒人教会の爆破事件で少女4人が命を落としたことをきっかけに差別反対を歌う「ミシシッピ・ゴッダム」の発表を始めとして、1965年のセルマの行進(血の日曜日事件)に参加するなど、ニーナは積極的に黒人解放のための活動に参加し、黒人に対する社会の矛盾を歌で表現するアーティストとして黒人解放の革命家へと変貌していく。それは同時に彼女自身の解放でもあった。
64年に人種差別撤廃法案が可決され、セルマの行進の年、投票権法が成立する。しかし後の1968年、黒人公民権運動の指導者キング牧師はテネシー州メンフィスで凶弾に倒れる。失意のニーナはアメリカを離れ、二度とその〈彷徨い込んだ悪夢の国〉へ戻ることはなかった。
ビリーホリデイから約80年後の今、あの「Strange Fruit」を目にすることが多い。今年11月ミュージシャンでありヒップホップのプロデューサーのサラーム・レミ(Salaam Remi)が作ったアルバム「Black On Purpose」がある。レミは、あの早世のシンガー、エイミーワインハウス(Amy)のプロデュースで知られる。
1番目(intro)があの時代のもう一人の有名な黒人指導者〈マルコムX〉の語りで始まり、そして最後の12番目(outro)が、2015年に些細な交通違反の取り調べから逮捕、拘留となり、拘置所で不慮の死となったサンドロ・ブランドさんの声で終わる。そして9番が「Strange Fruit」(ジェームス・ポイターとベティ・ライト)。この曲はソウルフルなブルースという感じで聞き応えがある。そしてこの曲だけのMVがある。あの忌まわしい不幸な時代、〈奇妙な果実〉が吊り下げられていた木々の森に向かって大きな体のレミがゆっくりと車で向かう。巡礼の旅である。赤紫に彩られた木の下に佇み上を見上げる。ショッキングな写真が次から次へと映り出される‥‥。
今年2020年5月ミネソタ州ミネアポリスで、アフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドさんが白人警察官にヒザで首を地面に押しつけられて圧死した。
この事件を機に、「Black Lives Matter」(BLM)運動は一気に全米に火がつき、世界が注目する。「黒人の命なんて問題ではないのか?」
この渦の中で、あの忌まわしい記憶がフラッシュバックする。吊るされてぶる下がる黒い塊を取り囲んで、うすら笑いを浮かべ記念写真をとる白人たち、そしてあの「strange fruit」の記憶‥‥。
法律的・制度的には差別がないといっても、差別意識は脳の奥底に潜む遺伝子情報のひとつのようなものだ。そしてその差別意識は状況の変化によって顕在し、その人の脳を支配してしまう。強者と弱者といういったん固定された関係性を変えるのが困難なことは歴史が証明する。これが海の向こうのよその国の人種間の問題と割り切ることはできない。この国でも同じような図式は多くあるのだから。そしてマイクロスコープで覗いてみると「いじめ」の問題と同じ根っこが見えてくる。
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