卒業生のピンボールゲーム

 先日、卒業生の男子三人グループが塾に訪れた。冬期講習中の陣中見舞いということか、ペットボトルのお茶を差し入れる気遣いも頂戴した。1本だけの手土産だったが‥。(笑)

 寿司のチェーン店でアルバイトを続けているA君は、なかなかバイトの人間関係で神経をすり減らしているようだ。店長も頭が上がらない、こわーいお局古株のヤリテおばさんににビシビシ叱責されているらしい。まあ、「頑張って」「無事を祈る」としか言えない。哲学専攻の彼が、そんな目の前の現実をどう「哲学的に」考察して、頭に、いやお腹にしまうのか、興味があるところではある。(やや笑勉強が楽しくなってきて、今は将来の進路に、大学院に上がることも視野に入れているという。いろいろな経験の中で悩み、傷つきながらも何か光のようなものを見つけようと奮闘する姿はやはり学生らしくてイイと思う。

 京都の大学に行ったB君、一人住まいでさぞや生活が乱れているのではないかという心配もなんのその、勉強にも生活にも、実に頑張っているようだ。塾にいた時から、ラーメン好きで、今もラーメンしか食べてないと思ったら、しっかりと栄養と家計を考えて自炊しているという。驚きだ。おまけに学業優秀で、返還しないでいい奨学金を支給されているほどらしい。この書き方では、ではどちらがおまけかわからない。笑

 そしてC君。もう今年3年になるから、「就職どうするの?」って聞くと

「日本人じゃなくて、外国人と仕事がしたいんですぅ」と彼。シャイな感じで、ポツポツと目を合わさずに話すスタイルは相変わらずで懐かしい。

外資系とか、商社とか、海外勤務の企業とか、そういう具体的なものではなく、わりと漠然と〈日本人ではなく外国人と〉ということだった。もう少しつっこむと「日本人だと何かと面倒くさい。ちゃんと言葉で0から話さなければ伝わらない外国人の方が仕事をする上ではいいと思うんですよ」他の二人は彼が何を言っているかわからない感じだった。私には何となく言わんとしていることはわかる気がしたが、それが本当にそうなのかはわからない。よくあるまったく勝手な解釈かも知れない。いわゆる〈美しき誤解〉というものだ。美しいかはわからないが‥‥。

 その訪問の前日、日本と大リーグでプレイした野球選手ムネリンこと川崎宗則と、同期の岩隈久志が対談するテレビ番組が流れていたのをたまたま観た。イチローと彼らの三人はシアトル・マリナーズで一緒にプレーした時期がある。川崎は、年末になると次の年、契約更新できるのかという不安をいつも抱えていたと言う。結局は、メジャー3つの球団でしたたかに生き延び、そのキャラクターはファンからも愛された。彼は言う。「要らなくなれば、即座に『はい、そこまででいいよ』と契約が無くなる。日本だと温情や義理などの古い浪花節がそこかしこに残り、時に長老や先輩が引っ張ってくれたり大目に見てくれたりもするが、大リーグはドラスティックな実力主義だ。結果を出さないとそこで終わる。でもそれが爽やかなのだ」と。

 もしかするとC君はこの大学時代、クラスやサークルやバイト先で様々な人間と出会い、ぶつかってきたのだろう。それはまるでピンボールゲームのイメージだ。彼女との出会いや別離もあったかも知れない。この国では〈阿吽の呼吸〉や〈KY〉と言う言葉が象徴するように、村社会の暗黙のルールがある。それに従わない者は村八分になる。彼はそんな空気感がたまらなく嫌になったのではないか。面倒になったのかも知れない。むしろ自分を、自分の意思を、言葉で伝え合う世界の方に惹かれたのだ。言葉で自分を表現し、仕事は結果で判断されるのがいい、いわゆる日本的ではない個人主義的な価値観の中で生きることをよしとする方が心地よい。しかしそうであればあるほど日本人としての自分に覚醒することにもなる。将来どういう選択をし、どうやって自分の居心地のいい場所に辿り着くのか。しばらくはピンボールを楽しめばいい。それは自分探しのゲームだから。

差し入れありがとう。

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