カクカクシカジカ(2)
ー又七とLucky Dragon
  • 2021.04.06

いきなり 西の空が まっ赤に もえた。

「太陽がのぼるぞぉー!」とひとりが さけんだ。

西の空の 火の玉は 雲よりも 高く あがっていた。

けれど ほんものの 太陽は 東の空に のぼる。

にせものの 太陽みたいな

ばけものが うようよ

もくもくと もがいているのだ。

「ここが家だ ベンシャーンの第五福竜丸」から抜粋 

(詩と文 アーサー・ビナード 第12回 日本絵本賞受賞)

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0E6306BE-E44F-46B8-B302-E8F8E1E750AF アメリカの戦中〜戦後の有名な画家の一人であるベンシャーンは、人間を直視し、社会の語部となる社会派のアーティストとして活躍する。最後の連作である〈Lucky Dragon Sereies〉は、死の灰を浴びて半年後に亡くなった第五福竜丸の無線長久保山愛吉を主人公に被曝した乗組員たちの苦悩を、怒りと哀しみをもって描いた。この作品は、彫刻家の佐藤忠良、デザイナーの朝倉摂をはじめ、グラフィック・デザイナーの粟津潔、和田誠らに大きな影響を与える。

 上の絵本はその連作を中心に構成された。ベンシャーン独特の力強く引っ掻いたような線、ジンボリックな図案、そして温かみのある色に彩られた抽象的な背景が素敵な絵本だ。

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 1954122日第五福竜丸の最後の航海が始まる。大石又七さんは敗戦直後の14歳で父を亡くし、家族を養うために中学を退学して隣町の焼津でカツオ漁の漁船員となる。この頃のカツオ・マグロ漁は戦後復興の波に乗り、活況を呈するが、気の荒い男衆どものタテ社会の中にあって少なからず苦労も多かったに違いない。5年間を経た後、この立派とはいえない木造船でマグロの遠洋漁業に出ることになる。この年の1月で彼は二十歳となった。

 船は、マグロを求めて、かつて〈南洋諸島〉として日本の統治領であったマーシャル諸島付近へと南下する。戦後になってこの地域は、国連信託統治領として支配権をもつアメリカが核実験場を建設する。そして前年のソ連の水爆実験成功を受け、その性能を上回る水爆の開発のための核実験「キャッスル作戦」を始める。その1回目が新型水爆〈ブラボー〉の実験だった。広島型原爆の1000倍の威力という。船は米国の設定した危険水域外で操業していたが、米国が水爆の威力の見積もりを誤ったため、死の灰が予想以上に広がったとされる。

 2時間くらい後、雪のように白い粉が降り始める。爆発によってサンゴ礁が灰になって吹き上げられて降り注ぐ。後に「死の灰」といわれる放射性降下物である‥‥‥。

 事実は歴史の教科書に載る。しかし人の悲しみや苦悩は目をこらして見ないと見えてこない。

丸木夫妻 「焼津」

丸木夫妻 「焼津」

 大石さんは約一年半入院して治療や検査をした後に帰郷する。そしてその半年後には、東京でクリーニング店を開こうと故郷を離れ、以後、50年間故郷に戻ることはなかった。被曝者ということで家族にまで及ぶ差別、政治的結末の証として乗組員だけに支給された見舞金への妬み、勢いづく原水爆禁止の運動のシンボルにされることで乱される平穏な生活を守るために、被災者のレッテルを外し、都会に紛れようとしたのかも知れない。

 50歳を前に、それまで元乗組員として取材を受けることを断り続けてきた彼は、少しずつ重い口を開くようになる。30年前の特異な体験をできることなら忘れたいという〈感情〉から、自分しか体験し得なかったその経験を全世界に伝えるべきだという〈意思〉に変化していったとも思える。

「核兵器の恐ろしさを誰かが言わなければ、いつかきっと大変なことが起こる。それを知っているのは被害を受けた当事者、死の恐怖を身をもって体験した俺たち自身ではないのか」(大石又七著 《これだけは伝えておきたいビキニ事件の表と裏》2007年)

大石さんはどんどん変わっていく。

199157歳「死の灰を背負って」が新潮社から出版された。

〈話す〉ことだけでなく〈書く〉という手段を得る。

「その作業を通して、避けようもなく襲いかかってきた災厄を対象化していっただけではなく、事件によって封印した過去をも取り戻していったのではないか。人は過去を物語ることによって、過去の意味を変容させ、人生を少しずつ生きなおしていく。この本は、大石さんが「死の灰を背負いながらも」人生を新たに生きなおしていこうとするプロセスを伝えている。」

(小沢節子 『第五福竜丸から「3.11」後へ』岩波ブックレットより引用)

 過去の事実の一点を掘り下げると、いくつかの点が見えてくる。それらの点を結ぶと線になり、やがて面となる。そして掘り下げるほど、国や社会の矛盾や欺瞞が浮き彫りになる。それは当時も今も変わっていないのだ。

 仲間の死を無駄にするものかという信念と怒りが、彼の〈誠実〉を揺り動かす。「自分」が被曝した「過去」を超えて、「人類」が被曝する「未来」へと視座は移る。普遍性をもつのだ。彼は国や法律と法廷で闘い、そして被爆者や被曝者と連帯する。

「人類は平和を願いながら、何故、核兵器など作ってしまうのだろう。戦争が絶えない根拠はどこにあるのだろう」(2011年『矛盾―ビキニ事件、平和運動の原点 』大石又七)

彼は学び続ける。そしていつの間にか優しく一徹な平和活動家となる。世界の平和を願い、人の尊厳を求めるオジさんだ。

「大石氏は荒野の預言者である。だが、彼のようなものの声が無視され続ければ、人類は必ず恐ろしい運命に脅かされることになるだろう。」

(20102月 英訳版「ビキニ事件の真実」の序文 リチャード・フォークー小沢節子 『第五福竜丸から「3.11」後へ』岩波ブックレットより引用)

20113月 預言が現実となった。

今年の3787歳で亡くなった。

A86A91DB-EA1C-4BB2-A98F-F0ADB01B66B4彼はいない。船は夢の島に残る。

合掌

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