両国国技館から旧安田庭園に向かう道から同愛病院の方に折れたところにある〈下総屋食堂〉。かのスカイツリーは634m〈ムサシ〉のくせに、建った場所は武蔵国ではなく下総国なのだが、この〈下総屋〉は下総国に近いが武蔵国にあったにちがいないのだが‥‥もうゴチャゴチャだ。(笑) ともかく〈シモフサヤ〉食堂だ。
1932年(昭和7年)の創業で、90年になる。街道沿いの金物屋か雑貨屋風のタイムスリップしたような面影。格別「時」が止まってひっそり佇む。数々の映画のロケで使わているのもわかる気がする。11時半をやや過ぎた。今日はここで昼飯とする。
飾りのないパイプ椅子そして使い込んで化粧板が色褪せたテーブル。以前はどこの食堂でも見かけた風景だが、今はその昭和レトロのチープ?いやシンプルなビンテージ感が新しいかも知れない。数年前、90歳になる女将さんが、ご主人だった二代目の店主の後を継いで三代目になる息子と営業を再開したと聞く。
木の棚に並んだいくつかのオカズを選び、ご飯のサイズを伝えて完了。お気に入りの一品があれば、さらに伝えればいい。街に一軒はあった昔ながらの定食屋であるが、この手は今や絶滅危惧種かも知れない。
「えっと‥‥シャケとしらすおろし‥‥と‥やっこも、そっだ、生卵ももらおっか」と胃袋と相談しながらオバちゃんに言う、あのスタイル(?)だ。
鯖の塩焼きをメインディッシュに、サイドメニューにほうれん草、ひじきを選んで、具だくさんの味噌汁がついて900円。安くて多くておいしくて、お腹が喜ぶのがわかる。
80年以上の歴史がある食堂はみなあの戦争の時代をくぐりぬけてきた。もちろん焼夷弾の戦火を免れて店舗が残ってきたのには相違ない。しかしそれだけではなく、蛇の生殺しのごとくジワジワと食糧不足による飢餓が襲いかかる時代の中で、人々のお腹をこしらえてきたということだ。胃袋を通してジーっと時代を見つめてきた。
戦時中の食糧難によって、1942年(昭和17年)には、いよいよお国の食糧統制のもとでの米穀配給通帳制度、いわゆる配給制度が始まる。国家による管理を強化せざるを得ないほど食料や物資の不足が深刻になる。さらに自治体は公設の公益食堂の他に外食券食堂を指定し、米を供給することによって行商人や工場労働者他、外食が必要な者は、役所で交付された外食券と引き換えにその指定された食堂でのみ米飯を食べることができた。この「下総屋食堂」も外食券食堂である。指定のない食堂は、雑穀やうどん類を提供するか、値段が跳ね上がったヤミ米を手に入れるほかない。そして戦争の経過とともに配給も玄米や乾麺へとかわり、配給自体も滞っていく。敗戦、そして占領下しばらくは食糧や物資の不足は続く。
作家の山田風太郎は〈戦中派虫けら日記(ちくま文庫)〉のあとがきでこう書いている。
「思えばこの日記につづく翌二十年の空襲は、いわば日本の外科的拷問であり、それ以前の餓えは内科的苦痛であった。そして今になってみれば、外科の傷より内科の病いのほうがあとまで長くたたったような気がする。体験者はだれでも戦争といえば空襲よりもまず空腹を思い出すだろう。「戦争を知らない」連中に、言っても無益だとは思いつつも、ともすれば口にせずにはいられないゆえんである。」
下総屋食堂も、きっと開店前から外食券を手に握りしめて、銀シャリを求めた行列があったであろう。券がなくて飯を懇願する腹減らしも、決められた量だと腹一杯食えない大食いもいただろう。皆、目の色を変えて貴重なご飯を食らう。
1950年代になって食糧難が解消していくと、戦中、戦後を通してその役目を終えた外食券食堂の多くは、より社会福祉的な意義をもつ自治体指定の〈民生食堂〉に移行することになる。戦時中の貢献に対する勲章みたいなものかも知れないし、再び何らかの食糧危機が生じた時の保険かも知れない。自治体指定という箔をつけ、水道料金の減免をする。そして災害時にはまた頼むぞといったところだ。もっとも水道代の割引は微々たるものであるし、箔がつくかも疑問ではあるが‥‥。
今年3月、中野の大和町の食堂「天平」が70年の歴史を閉じた。袖看板の民生食堂の字が目立つ食堂だ。道路拡張、高齢化、コロナ‥いろいろな事情があるのだろう。 同じ中野で86年になる「野方食堂」は大学で経営学を学んだ三代目が老舗の器に新しい魂を吹き込んで100年に向けて奮闘する。そして、新宿の「長野屋」。大正4年創業、107年目の現在も新宿の東南口の雑居ビル群に埋もれながらなお存在感を放っている。戦後の闇市のカオス、そして復興、再開発と時代の変化にもいっこうに動じず、そこに存在する。四代目の元気な女将さんの下で働く五代目の娘さんも着物と割烹着がよく似合う。おしゃれな若者や若いカップルがわざわざやって来ては、鯖の味噌煮に舌鼓を打つ。みんな外食券食堂由来の民生食堂だ。
東京都民生局 昭和24年の「外食券食堂事業の調査」に外食券食堂の意義を4つの条件を挙げて論じている。(一部抜粋 ロ、ハの保健的、衛生的条件は省略)
イ.経済的条件
外食券食堂は国家の食糧配給制度によって行われるものであるからには、外食券食堂に支払われる利用者の食費が、一般都民の食費と比較して不当の多額を要するならば、それは内食の食生活と外食の食生活の不均衡を示すものであって、施策上妥当ではない。外食者の負担を軽減出来るよう、低廉でしかも熱量の高い供食をすることが望ましい
ニ.精神的条件
外食券食堂は外食者が団欒的雰囲気に浸り、温く楽しい食事が出来る場所でなければならない。このためには食堂の調度装飾にこの条件を充し得るような配慮が必要であり、又従業員には利用者に対し親身の融合的態度がなければならない
飢餓から飽食の時代、ファミレスの登場と外食ブーム、そしてこのコロナ禍。時代は巡る。胃袋は胃袋だ。
参考資料 「外食券食堂事業の調査」東京都民生局
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