「アンネの日記」を遺してわずか15年で人生を終えたアンネ・フランク、彼女の友だちだったイスラエル在住のハンネリ・ホースラルさんが今年10月末に93歳で亡くなった。二人はともにユダヤ系ドイツ人で、ナチス政権によってユダヤ人への迫害が強まる中、一家でドイツを脱出し、オランダのアムステルダムに移住した。やがてドイツはオランダを占領し、ユダヤ人に対する監視の目が日ごとに厳しくなる…。
今年、アンネについての映画を2作観た。一つは英題「My Best Friend Anne Frank」(私の親友 アンネ・フランク)。これはアンネ・フランクを描いた映画として初めてオランダで製作された作品で、実話に基づいたアンネとハンネリの小説を映画化した作品で、ここではアンネではなく若きホースラルを主役として、彼女の目線で、占領下のアムステルダム、そして家族、アンネやフランク一家、ユダヤ人に対する差別や迫害、収容所の地獄が描かれる。
そこには美化されたアンネは存在しない。おませで、おてんばで、少し意地悪で、ちょっぴりエッチで、気まぐれな、今どき(といっても昔だが 笑)の等身大の女の子アンネがいる。そして最後に悲惨なほど弱り、変わり果てたアンネとの収容所での奇跡的な再会が描かれる。大げさな演出と感る場面もあるが、同世代の女の子の視点でアンネを映しているユニークな作品である。
もう一つはアニメーション仕立てのファンタジー「アンネ・フランクと旅する日記 」(原題 Where Is Anne Frank)。世界的な名作「アンネの日記」は、空想の友だち《キティー》宛にしたためられている。その《キティー》が目の前に姿を現したのだ。アンネはキティーといっしょに活き活きと時空を超えて飛び回る。
気球に書かれた「I AM HERE」に作者の思いが込められている。原題の「where is Anne Frank」に対するアンサーであろう。アンネはまさに今に生きる。さまざまな差別や戦争という不正に反対するすべての人の心にアンネがいる、そんなメッセージが伝わってくる。
ホースラルそしてもう一人サンネ・レーデルマンは以前からのアンネの親友で、他の2人を加えてピンポンクラブ《おおぐま座−2》の仲良し5人組だ。そのサンネ(愛称)はアウシュビッツ=ビルケナウ絶滅収容所で、イルセ・ヴァーハネルはソビブル絶滅収容所、そしてアンネはベルゲン=ベルゲン収容所でそれぞれ若き命を奪われた。この世から屈託のない明るい笑顔が葬り去られた。オランダではホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)によって約14万人のユダヤ人の75%近くが殺害された。信じられない人類の負の歴史に違いない。なぜ悪の暴走を止めることができなかったのだろうか。
戦後75年経った一昨年、オランダのルッテ首相は、ナチス占領下のオランダ政府が、ユダヤ人などの迫害に役割を果たしてしまったことを初めて認めた。ホロコーストによって約600万のユダヤ人が虐殺された。ナチスだけが加害者ではない。ヨーロッパ全体、いや世界全体が加害者であったからこそこれだけの数に及ぶ。現在のロシアによるウクライナ侵攻も悪と分かっているのに未だ止められないでいる。そしていつのまにか戦争慣れして感覚が鈍化してしまう。そして今も反ユダヤ主義は見え隠れする。
IS SHE HERE?
ハンネリ(ハンナ)はベルゲン=ベルゲン収容所から奇跡的に解放され、生還した。その後彼女はあの人類の負の歴史を、そしてアンネとの友情についてずっと語り伝え続けてきた。
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