竹は竹屋
ー斎藤商店のおっちゃん

 おっちゃんとはもう十年以上になろうか

クリスマスを過ぎる年の瀬、毎年一回だけおっちゃんのところに竹を買いに行く。

 昔は街でよく目にした材木屋とか銘木屋はだいぶ少なくなった。まして竹屋などは都内ではだいぶ珍しい。その竹屋は中山道沿いの小豆沢にある「斎藤商店」。懐かしい木肌の風合いと立派な入母屋屋根が、単調なビル群の狭間にぱっと目に飛び込み、一瞬タイムスリップする。宿場町の商店といった風情を醸し出す。その店のすぐ脇にある〈志村の一里塚〉と並んで、板橋区の有形文化財に指定されている。昭和8年に建てられた貴重な建物だ。

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 僕はこの店で直径約6ミリ、高さ1.5mほどの竹を数本買い揃えて、正月用の松飾りにする。もちろん門松なんて立派なものではまったくない。この竹に松や造花の千両を合わせてサっとアレンジして玄関の横につける。そして最後に裏白や紙垂のついた輪飾りをくぐらせる、そんな簡単なものだ。

 鳶の出店やホームセンターで買った松飾りをただつけるだけ‥‥そんな新年を迎える〈ふつう〉の支度がとても「形式的」で「偽善的」にも思えた。日本人が絶やさずに細々続けてきた立派な慣習かも知れないが、そう感じたものだから仕方ない。

 おっちゃんの動きには無駄がない。目がくりっとして愛嬌のある面持ちだが、一つのことを生涯続けてきた職人の威厳がある。竹のことなら任せておけという気概である。消防庁の出初式で使う竹はしご、上に登って鳶が形を披露する〈はしご乗り〉に使う。その6m30cmの太い青竹のはしごを十数年ずっと作って東京都に供してきたおっちゃんだ。そしておっちゃんは器用に何でもつくる。生垣も籠も一輪挿しも。仕事場にはわけわからない試作品が一杯ある。一徹な職人ではあるが、子供のように遊び心いっぱいなのだ。僕はいつも背後からじっとおっちゃんの仕事ぶりを盗み見してきた。番外の弟子だと勝手に思っている。何もしないけど。笑

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 一昨年、おっちゃんからあと一年足らずで店を閉めることを聞いた。国産の竹の需要が少なく固定資産税分で赤字になること、そして頸椎からくる手の痺れが続いていることなどボツボツと話してくれた。ここまで続けるにもたいへんなご苦労があったと思う。お疲れ様でした。

 おっちゃんが作った最後の門松が置かれた近くの病院の玄関に案内してくれた。先を斜めに切った竹の節の下に小さな穴が空くようにするのが江戸前だと自慢げに語る。そういえば梅結びの達人だった。よくにこにこしながら言っていたっけ。鳶の若い衆に結び方を教えるが、なかなか覚えが悪いって。

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 帰りがけ、もしかすると見納めになるかも知れぬと思い、じっくり母屋を見上げると、銅製の樋のそこかしこに金属で細工した鯉やとんぼが貼られているではないか。まるでお茶目なアールヌーボーという感じだ。今までは少しも気が付かなかった。一見いかめしい佇まいだがユーモラスな仕掛けも忘れていない。「おや‥‥あれ?横っちょの銀杏の木の枝に柚子が成っている。」

「この柚子、やったでしょう」と僕が言うと、おっちゃんは笑ってた。

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またひとつの文化の灯が消える

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