僕のジングウガイエン
ー再開発について考える(1)

ジングウガイエンといえば神宮球場

 学生席で初めて早慶戦の応援、エール交換の時に、サングラスをとるように応援団長に指をさされたのを思い出す。でも度付きのグラサンを取ると何も見えんの。その後はヤクルトファンだから子どもを連れてゲーム観戦に。晴れた日の神宮のデイゲームはとても気持ちがいい。選手は近くのクラブハウスから球場まで、ご近所さん風情で歩いて移動するので、よく出待ちした。五十嵐や宮本たちにサインしてもらったなぁ。

ジングウガイエンといえば秩父宮ラグビー場。

 早稲田が日本一になって「荒ぶる」を歌った時からワールドカップ前のジャパンの壮行試合まで、ここも隣のコクリツも、別宅のごとく通った()。バックスタンドで応援する自分を何度かテレビでも観た。()南側にそびえる伊藤忠の本社、「いいなぁ、タダで特等席から観戦できて」と思ったものだ。息子が学生オールスター選抜で20分間チチブノミヤのピッチに立った、が、今でもそれは謎だ。()

ジングウガイエンといえば銀杏並木

 絵画館からニーヨンロクまでの遠近画法の直線。層に重なったイチョウのふかふかの落ち葉が冬を予感させる。片付けるのはさぞ大変だろうといつも思う。西側に並ぶカフェの冬のテラス席は、痩せ我慢のセレブの自己主張と一瞥していたが、やってみると、どデカいストーブの横で身体に毛布を巻いて食事するのはなかなかいい。きっと寒い国のふつうの楽しみ方のスタイルを誰かが持ってきたのだろう。寒いと饒舌になって体温上昇に貢献する。コーヒーの湯気が季節を運ぶ。

ジングウガイエンといえば外周道路のサイクリング、小高い山もある公園

 あの一方通行の外周道路がわかりずらかった。外苑西通りに出ようとしてもうまく車線が変えられず、ハイもう一周ってぐるぐる周回する。笑 家族でレンタサイクルも気持ちよかったし、起伏に富んだ公園もけっこうワイルドに遊べたなぁ。

 ついでに加えてジングウの内苑では、その昔、僕は結婚式を挙げ、明治記念館で披露宴を行なった。子どもたちの七五三の時も巫女さんたちに舞って頂いた。

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 かくも縁あるこのジングウガイエンが再開発で無くなるのはもちろん寂しい。でも、僕は新しい〈何か〉が生まれるのは楽しみだ。絵画館前から信濃町方面への道や店、片側しか店がない銀杏並木の通り、なんだか目立たないとってつけた感のある公園、秩父宮ラグビー場の裏手の薄暗い駐車場とか全体的にチグハグな感じもある。無駄や空白も風景のだいじな要素だと思うが、居心地がよい感じはなかった。今後どう格好よくするのか。よくしてくれるのかと期待する。それは、そこに昔から代々住む近隣住民とは違う感情かもしれない。木々がコンクリートに変わり、急に鳥の囀りが止んでしまう危惧は本能に根差した不安感でもあろう。

 明治神宮は内苑と外苑から成る。明治天皇を祀る神社を中心に広がる内苑の鬱蒼とした森も、人が造った「森」である。それは百年後のちょうど現代に極層(森の一生で安定した最終局面のこと)の自然林となるように近代造園学の知恵を集積して、主に寄進された木々の植林によって造られてある。もちろん外苑の木立やスポーツ施設も企画書と設計図面を元に創られたものである。

 苗木は今では風格のある大木になり、百年の歴史を刻んで来た。

 今回の再開発は、地権者の明治神宮がその維持発展のために三井不動産や伊藤忠商事などとともに興した事業である。神宮球場や秩父宮ラグビー場を建て替え、超高層ビル2棟を新築する。837本を植樹する一方、700本以上の高木を伐採する。計画では帳尻合わせの〈数〉で伐採の正当性を主張する。施主にはそうせざるを得ない切羽詰まった理由があるかも知れない。言ってみれば森を存続させるために森を開発しなければならないというパラドックスだ。

 ここでは、自然と都市がどう共存できるか、または公共的な民間事業はどう進めるべきかを考えさせられる。東京都は法律的には、一民間の事業について良くも悪くも口出しはできない建前だ。しかしそれは反面、開発の自由度が保障されていることでもある。 (続く)

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