「My Foolish Heart」は1949年(昭和24年)に制作、1953年に公開された同名のアメリカ映画(邦題「愚かなり我が心」)の中で、その叙情的な調べが全編通して流れる。映画全盛の時流の波に乗って、多くの有名な映画音楽の担い手やその楽団が登場する。作曲者ビクター・ヤングもその代表である。しかしながらこの曲、 JAZZを聴く者にとっては原曲よりビル・エバンスのピアノの旋律が深く心に染み入っている。黒人のプレーヤーたちが活躍するJAZZシーンで、銀行マンのようなボストン眼鏡の白人が演奏するリリカルで繊細なタッチは聴く者の心を奪う。
この映画、単なる恋愛映画ではない。当時、尊敬の的である上級士官の妻として羨望の眼差しを向けられるはずの豊かな家庭にあって、スーザンヘイワード演じるエロイーズはしょうもない反逆児(妻)である。感情を抑制できない、いや感情に忠実な女性なのである。そしてそのように振る舞い、生きるのだ。まさにHer Foolish Heartである。もとは〈ライ麦畑〜〉のJD ・サリンジャーの短編が原作のようだが、脚本があまりに違うのでこれ以降は映画化することを断ったという話がある。このスーザンヘイワードは、後に「私は死にたくない」でアカデミー主演女優賞を受賞する。死刑執行について、そしてその場面も、まるでドキュメンタリーのように克明に描かれている衝撃的な映画である。私の記憶の中で、このスーザンヘイワードが「愚かなりわが心」の不貞の罪で「私は死にたくない」で極刑に処されるように、どうも話がくっついて混濁してしまう。(笑)
〈恋と愛は違う。漢字を見てごらん。恋には下心があって、愛には真ん中に心がある、真心がね。〉と聞いたことがあるだろう。一種の駄洒落の定番だが、若い頃は心に何か引っかかる言い草だった。この曲も再三「LoveとFascination は違う」と真面目に吐露する。(笑)
もとは女性の心模様を歌う曲だが 「His lips are much too close to mine」の HisをHerに変えて様々な男性ボーカリストも披露する。 正統派ではビリーエクスタインやナットキンコール、伴奏する髭もじゃのビルエバンスの横で歌うトニーベネット、そしてもはや楽器のひとつと思わせる芸術的なジミースコットの歌唱も凄い。僕が歌うと「君の声はジョニー・ハートマンのようだ。彼のMy Foolish Heartは飽きるほど聴いたぞ。」と上の世代のドラマーに言われたことがある。サリナ・ジョーンズの流れるようなやさしい歌唱をはじめとして多くの女性ボーカリストも歌うスタンダードナンバーである。そう布施明やJUJUも…。
さてこの映画と同じ年に公開された日本映画がある。世界の名監督たちが敬愛する小津安二郎の名作「東京物語」。ここで原節子演じる戦死した次男の妻・紀子は義父母に優しい心遣いを見せる。昭和の半ばくらいまで多くの人の意識の底辺にくっついていた「嫁・妻」の一つの理想像である、伝統的で保守的な貞淑な妻、〈控え目で、夫をたてて、一歩下がって、三つ指ついて……〉。
奇しくも同じ年に公開された「愚かなりわが心」と「東京物語」で描かれた女性像は180度違う。戦争の中で思春期を過ごした女性たちはそのとき20代になっている。当時この二つの映画を両方観た女性も少なからずいたであろう。抑制と解放、時代の変化の中、さざ波のように意識を揺らされる。
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