滅[公]奉[私]
  ー個の時代の胎動(1999.5)

先日、某私立高校に通うT君が「あした、「戦争は是か非か」というディベートの授業があるんだけど、先生はどう思う」と訊かれたことがきっかけで、授業の後にしばし雑談していました。「『おおやけ』ってなに?」とも聞かれました。おそらく小林よしのりのゴーマニズム宣言の「戦争論」が話題になったとき、学校の先生(国語表現という授業だったと思います)が企画したものだと思います。(この授業ではこんなにハードなテーマのディベートだけでなくクラス全員に詩を書かせたりもして結構おもしろいなぁと思っていたもので、大学附属の私立高校の自由度を垣間見る感じでした)

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 自明であったものがどんどんこわれていく、そんな今という時代にあって、時代の急速な変化を読む一つのカギは「公」から「個」への引き戻しといえるのではないでしょうか。「減私奉公」が美徳であった一時代前の価値観はがらりと変わり、政党政治や運命共同体たる会社社会が瓦解する兆しは勢いを増し、そして教育においても「学校」という組織そのものの存在意義が根底から問われている、そして一方では様々なフリースクール(塾)が新しい価値を担っていく。それは、一つの価値観に束縛され、ゴールが決まっている横並びの古い因習から、個の多様性を活かしたいという子どもや親たちの声無き革命による転身ともいえましょう。

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 沖縄では安室奈美恵らを輩出したアクターズスクールに通う子供たちの、あまりに意欲に輝く目を見て、27歳の女性がマキノ氏(アクターズスクールの創設者)の支援のもと全く新たな価値観の学校を開校したようです。学校という外の物差しに依存するのではなく、自分がこれをしたいということをその場で見つけ、それをサポートする――最初に学校ありきではなく、自分があって学校があるということを徹底して子どもたちに理解してもらうという信念で開校に至ったわけです。でも、このような学校は全く新しい芽生えではなく、十数年前に「テストのない学校」と話題になった、自由の森学園(数学者であり教育者の遠山啓の理念を具体化して飯能に開校しました)もありました。そこでも理念(自分のやりたいことを自分で探す)と現実(大学進学はどうなる、生徒が自由の意味を拡大解釈してしまいがち等)の葛藤は永遠のテーマです。個をみつめるということは実は本人も周囲も本当にしんどいことです。まずは若き校長と新しい時代の始まりを応援したいと思います。

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 音楽家の三枝成彰は、テレビ番組で教育改革をどうすればいいかと問われたときに、義務教育は必要ないと言っていました。学校の総民営化論です。「親が子供にとって必要と考える時に必要な教育を選んでいけばいい、教育費の分の税金を各家庭に還元すればいい。」と言っていました。課程と本人の問題に帰することが一番の教育改革であるということです。芸術家にとっては何よりも個の教育が必要なのでしょう。

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 「個」と声高に叫んでも、文化も伝統も欧米とは異なるこの日本で、まだまだ個人主義が根を下ろすまでは時間が必要です。また、他と違ったこの国の理想像みんなで模索すべきでしょう。そして、新しい教育の形は、今の混沌の時代をくぐりぬけて、その先にあるはずですが、実際のところまだ具体像は見えてきません。

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 しかし、確実に「公」から「個」へ、――といって「個」が一人歩きすれば、みんな自分勝手が一番いいということにもなりかねませんので――正しく言うと、「個」があってその総体として「公」があるという形に移行しています。個を認める集団であるかどうかということが重要なことでしょう。

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 大学は、二〇〇七年には受け入れ人数が受験者数を上回ることになります。選ばなければ全入できる時代がくるわけです。ということは大学へ行く意味は?大学へ行くメリットは?将来の自分の人生をどうしていくか、どういう教育を選択していくか、教育の様々な場面で、決断を迫られ、葛藤することも多くなるはずです。

 それ相応の覚悟をしておきましょう。

(MJ通信  雑感  1999.5)

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