”2002年問題”
  ー学習指導要領の改訂 (2002.4)

 今年度からの学校週5日制にともない、小・中学校では新学習指導要領が実施されています。(高校は来年度から実施)そして、公立の小学校・中学校・高校は、大きく、進む方向を変えつつあります。修学旅行のバスの長い列がこぞって大きくカーブを描くように。でも、でも、何せ、長い列、指示が伝わらなかったり、変更したり、バスによって、遅くなるものもあれば、エンストするものもあれば、逆方向へと猛スピードで進むものもあれば・・・と大混乱。こんな様子が今の状況でしょうか。塾の中でも、塾生やOB、保護者の話が耳に入ります。

小学校

「土曜日がなくなって友達と会えないのがいやだなぁ。」

「勉強が遅れている子は居眠り勉強(補習)をしています。」

「土曜日の分が平日に振り分けられたみたいで、平日の時間が増えた感じ」

区立A中

 数年前から中2・中3で数学の習熟度別分割授業(練馬区で実験校として指定)。今年度から中間試験は1日だけで実施(都立入試に合わせて、ただし各教科30分)。マラソン大会がなくなる。保護者会で校長が『絶対評価』になると、うちの学校の生徒は(受験で)有利ですよ。」とおっしゃった。春休み、中3で、初めて国語の宿題(今まで春休みの宿題はなかった)、そして休み明けにテストを実施。

区立B中

1学期中間試験をなくすかどうかを検討中。科目を選んで実施するはこび。

区立C中

 今年度の成績は「テストの点」「提出物」、「授業態度」を点数化して合計し、たとえば、600点満点中○○点以上は5、○点~○点が4、・・・・というような基準の絶対評価にすると保護者に伝える。今年の新中1は他の通学区域からの入学希望者(越境入学)が多く、抽選を行った。

区立D中

 中間試験は1日だけ、また理科の授業時間が、週2時間+αとなっているので、総合学習の時間の一部を充てると思われる。

都立E高校

 今年から、入試問題を自作。都の「進学重点校」に指定され、教師の公募、予備校での研修も行う。時間数減少にともなって、2学期制の導入、土曜補習を検討。

「先生が、変更点について話すんだけれど、その先生が自分で『でも、俺も来年いるかなぁ~。』だって。」

「校長先生がたいへんみたい。先生と都の間に入って、板ばさみ」

 

■学習指導要領の改定(いわゆる2002年問題)を知っておこう。

 

第一話 学習指導要領の内容と経緯

 今年度から、公立学校の完全土曜休校にともなって、新学習指導要領に沿った授業が新しい教科書で行われます。この学習指導要領は、1947年(昭和22年)から、およそ10年ごとに改定されてきましたが、今回の改定は、70年代の知識偏重主義(詰め込み教育)の反省から改定された、92年(平成4年)のものをより拡大した、「ゆとり」重視のもので、戦後6回目の改定の中でも、改革の幅が大きいものとなっています。今回の改定のポイントは、教育内容を厳選し、「ゆとり」の中で基礎・基本の確実な定着を図ることを重視し、必要な時間をかけて十分に指導することをねらいとする一方で、「総合的な学習」に象徴されるように、知識中心の教え込みから生徒の自主的な学びへと学力の意味を広げようとしています。この学習指導要領は、週5日制のもと、「ゆとり」の中で、一人一人の子供たちに「生きる力」を養成するということで、

○豊かな人間性や社会性、国際社会に生きる日本人としての自覚の養成

○自ら学び、自ら考える力の養成

○ゆとりある教育活動を展開する中で、基礎・基本の確実な定着を図り、個性を生かす教育を充実させる

○各学校が創意工夫を生かし、特色ある教育、特色ある学校づくりを進める

という教育課程審議会の答申をうけて、文部省が、平成10年12月、21世紀の学校の柱とすべく、告示しました。

具体的には、

 ●小学3年生以上に「総合的な学習」の時間の導入

 ●完全学校週5日制の実施

 ●中学校の選択教科の拡充

などが柱になっています。

 これによって、「ゆとりの中で生きる力を育成する」という理念のもと、各学校の特色に応じた多様な教育課程の編成を期するものです。

             * * * * * *

 この新学習指導要領のもとで、たとえば、中学校では、授業時間数が、年1050時間から980時間へ約70時間減少し、また総合的な学習の時間(約週2時間 年70時間)がくい込むため、70+70で合計140時間(年13%)減ることになります。このため、学習内容の削減や移行(精選)を行い、学習内容が最大3割の削減(特に数学・理科)になっているということです。ご承知の通り、小学校の算数では、円周率は3.14ではなく3となり(*)、台形の面積(上底+下底)×高さ÷2は取り扱わなくなります。また、小学校で書ける漢字は、現行の1006字から825字と一学年分少なくなります。中学英語では、学習する単語数を1000字から900語に減らし、必ず教える必修単語507語も一気に100語に限定しています。まさに「ゆとり」ですね。

 また、中学校では学習の評価が従来の相対評価から絶対評価となります。これも集団の中の一人という見方から、生徒一人一人の「個」をクローズアップするという視点へと変える目的です。

 

 (*)円周率を3で教えるというのは正確には間違いで、小数のかけ算が桁数の大きい場合は扱わないので、結果的にそうなるだろうという推測でした。

 

第二話 「ゆとり」VS「学力低下」

 この新指導要領をめぐって、「学力低下」が加速するという心配から、財政界そして国民からの批判が相次ぎます。分数ができない大学生が増えているとの調査をきっかけ(平成10年末に、大学入試センターが全国国立大学の学部長に行った調査で、新入生の学力が低下しているとの答えが半数以上)として、学力低下論で「ゆとり教育」を批判します。反対に、平成12年の国際教育到達度評価学会(IEA)の調査結果ではそれほどの低下がみられてはいないと「ゆとり」側は反対します。平成13年末 日本の15才の生徒の「宿題や自分の勉強をする時間」が対象32か国中の最低を記録する報告がなされています。(経済協力開発機構〈OECD〉)学力低下と同時に、学ぶ意欲の低下が深刻化しているという根拠になっているのです。文科省は従来、継続して学力を測定し、評価し、それを次の指導要領に生かすシステムを持っていませんでした。ですから、結局、これらの断片的なデータでは、基礎学力がどれだけ低下したかは正確にはわかりません。あるデータを取り上げて、「ほら学力は低下しているじゃないか」といえば、「こんな例もある」と反論できるのです。それは「受験」ではなく「生きる力」につながるものです。そもそも「学力」の定義自体が混乱しているのが対立の構図を生み出しているわけです。

 

第3話 新指導要領のゆくえ

 文科省や文科大臣も学力低下の批判を受け、また、勉強ができる子に対する配慮が足りなかったという反省から、その批判をかわすために、実施直前になって、様々に指導要領を再定義していきます。そして、それは、現場の先生方にとっては、方針転換や教育現場の改革に水をさしているとうつっている場合もあります。だから今、学校が、そして先生が混乱しているのです。

* * * * * *

 ▽平成12年 「学力低下の懸念は否定できない」(文部省小野次官)

 ▽平成12年秋、ゆとり教育について、「学力低下」が指摘されていることに対して、反論。指導要領は教える最低限とする。「心の教育」「個性を伸ばし、多様な選択が▽可能な学校制度の実現」「学校現場の自主性の尊重」「大学改革と研究振興」の4つの観点から教育改革を進めていく考え方を示した。(大島文相)

 ▽平成13年1月 文部省は、基礎学力の向上をねらい、新学習指導要領の「ゆとり」のあり方を抜本的に見直す方針に決定。

 ▽平成13年3月 内容を厳選した結果、指導要領は最低基準だという性格が明白になった。先に進む子は進み、理解に時間のかかる子は何度も基礎をやる。」(町村文相)

 ▽平成13年8月 文部科学省が、理解の早い子を対象に特別指導を行うよう小・中学校をうながす。(教科書レベル以上の学習内容の指導事例集を作成することも決定)

 ▽平成14年1月 「学びのすすめ」で宿題や補習の奨励 (山文科相)

 ①放課後や始業前を利用した補習や読書の実施

 ②宿題などの家庭学習の充実の必要性。特に一定レベル以上の児童・生徒に対して教材や指導方法の工夫などで、積極的に発展的学習に取り組ませるよう強調。

 

            * * * * * *

 というわけで、結局現在の段階では、学校をスリムにして、教科の最低ラインは定め

るけれど、後は新指導要領の意味を理解した上で、個々の生徒に対応するように、学校が、先生が、よきにはからえといったところでしょう。分権と言えば聞こえがよいですが、文部科学省は、仕切り線をミニマムまで下げて、取れるだけの責任しかとらない、あとの自由化の部分は、選択する人(保護者や生徒)の責任であり、やる人(都や区や学校)の責任となったわけです。だから学校によって解釈が変わり、また対応も変わってくることになるのです。

 

 

■結局、何が変わるの?

 

小学校

●教科書自体がとんでもなく易しくなりました。(最低限の学習内容)

●先生の指導力(面倒見のよさ)が問われるでしょう。

 できない子 補習をしてもわかるようにするか。

 できる子  発展レベルのプリントなどで深く学習させるような対応がとれるか。(習熟度別クラス編成になっていない以上、クラス人数を考えても、○つけ程度の自主学習になるでしょう。中途半端に個別に対応しようとすれば、授業がばらばらになってしまいます。これを解決するには、10人程度の少人数クラスか習熟度別クラス編成しかないと思います。)

●総合学習 テーマは設定から学習効果まで、先生の力量にかかっています。おそらく、内容はマニュアル通り。(先生は実例集のような指導所から選ぶでしょう)そこから、皆にどれだけ学習の結果を引き出せるかは、先生の努力と腕にかかっています。

●学校自体の方針や運営の中身が問われるでしょう。 できない子に手厚く対応するのか、できる子にはどういう風に関わり合うのか、総合学習や学校行事は どう位置付けするのかなど、各学校の裁量が多くなる中、学校の個性や方向性が出てくるでしょう。(しかし校長も先生も転勤があるので、長期的なビジョンでの学校づくりはしにくい面があると思います。)

                  ↓

 学力(狭い意味での)の平均値は下がるでしょう。(早い時期から、勉強についていけない児童・生徒は減るでしょうが。)また、もし「総合学習」に、学校あげてバランスよく取り組めば、学習の幅が広がり、学ぶことへの関心も強まるでしょうが、それ程期待はできないと思います。

 

中学校

  • 絶対評価に変わります。 理論上は、全員5になれる(もちろん全員1もあるが)わけです。例えば跳び箱を1段跳べたら「1」、2段跳べたら「2」・・・・・、5段跳べたら「5」とするわけです。だからみんな頑張って4段跳べたとすると、成績には全員4がつくはずです。ただ、先生が、目標設定を高くして7段以上跳べたら「5」、6段で「4」、5段で「3」、4段で「2」、3段以下は「1」としたら、全員2となりますね。だから、完全な絶対評価は、まさに先生の主観で決まることにもなります。(一応ガイドラインはあるようですが)また、今回絶対評価の基準を、①関心・意欲・態度②思考・判断③技能・表現④知識・理解の4項目の観点から、適正に設定し、テストだけでなく、観察、作品、ノート、レポート等を活用することになっています。

                  ↓

結局、テストの成績、課題、宿題やノート・レポート提出、授業態度を点数化して、何点以上は5、何点~何点は4というふうに決めるわけです。現在、高校はそうしています。相対評価とは発想が全く違っているものですが、(相対評価は、最初に%で人数比が決まっています)、結果は今までとそう変わらないと思います。また、小学校と同じように、勉強に力を入れる中学校や、そうでなく総合学習で多面的な学習に重きを置く中学校、行事が盛り上がる中学校など、学校によって個性が現れてくるはずです。通学区域がもっと自由化されれば、私立中と同じように、学校をその中味で選択することが、どんどん促進されるはずです。後で振り返ると学校に市場競争の原理がもちこまれた最初の年になるのかも知れません。

 

高校受験

 中学校で絶対評価を使うと、学校の基準で評価がつけられるので、例えば、太郎君がA中で成績が5だったのが、B中の評価で1になることもありえます。学校間格差以外に評価の基準が学校で(学校の先生によって)まちまちになるからです。そうすると、例えば、都立入試での調査書の取り扱いが大問題になるわけです。

                  ↓

結局、都立入試は、内申点(学校の成績)より入試点(実力)に重きをおくことは、必至です。(例えば、現在は西・富士・大泉が内申:入試が3:7 井草、武蔵丘が6:4です。現在は受験の競争過熱を抑制するために7:3が上限ですが、これを変更したり、各学校が入試重視の方向へ移行することが予想されます。また、私立高校の推薦も内申点の基準で行われていましたが、(例えばA高校の推薦応募基準が、英国数で12(平均4ということ))、絶対評価では、基準があいまいなので、別の方法を考える動きも出てくるでしょう。とにかく、中堅校以上の受験は実力本位になると思います。

 

高校

 数年前から、コース制や単位制、総合科など多様なニーズに合わせて、都立高校が新設、再編されています。また今年から、日比谷、西、戸山、八王子東が進学重点校に指定されています。すなわち多様なニーズの一つである進学エリート校を都立でつくろうということです。この流れに対応して、中堅以上の都立高校では、追い風とばかり、授業進度を早めたり、宿題やノート提出を多くし、小テストを頻繁にしたりで、結構進学校化しているような感じです。中学校で適当に内申をとって、それほど受験勉強もせずにこれらの高校に入ったとたん、学校の教科内容や進度についていけず、高1の中途くらいで勉強がだめになる場合も多くなっています。

                  ↓

高校も大学と同じく二極分化に拍車がかかっています。大学を目指すのであれば、中学後半からそれなりの意識で勉強し、それなりの高校に入って頑張るか、そうでなければ、将来大学進学以外の道でやりたいことを、高校3年間必死で模索し、自信をもってその道に踏み出す。そういった選択を早くからすることが必要だということです。

 

大学受験や大学の変化については、別の機会にします。ただ、小中学校の「ゆとり教育」に対して、大学はセンター試験の科目数を増やす方向など、受験生の基礎学力を上げることを前面に出して要求しています。正反対の方向で変わろうとしています。つまり、本当に大学に進学したい人とそうでない人をふるいにかけることになるでしょう。ますます、中途半端なスタンスではいられないと思います。(もちろん大学全入の時代の到来で、選ばなければ大学に入れる時代にはなります)

             * * * * * *

 新学習指導要領によって学校が変わるということはご存じだと思います。私には、学校がどんどん「塾」に近づいている気さえします。ただ、それは、変化の一部であって、教育を取り巻く社会自体が大きく変わっていくことを見なければいけないでしょう。学力(狭い意味)が低下するという面だけで心配するのも分かりますが、今掲示されているもう一つの学力観を考えてみるのも必要なことです。要はバランスです。うまくバランスをとっている学校が「よい学校」なのかも知れませんが、それぞれの生徒によって「よい学校」は違うものかも知れません。結局、子供にとって何が必要なのかを保護者それぞれが考えなければならない、それによって学校(公立もふくめて)を選択することが求められています。

 数字になる学力、そして数字にはできない学力、どちらをどう選択していきますか?

(MJ通信  雑感  2002.4)

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