こんな相談をされたことがあります。小学1年生の男の子の お母様です。
少し遠くに いい先生がいると聞いて、習いに行かせた方がいいかどうかということでした。いわゆる「お受験」ではなく、能力開発の類いのようです。
車で1時間くらいの送り迎えは、可愛い子供のためならわけないという感じです。いや、そこまでしてこそ、親の思いのバロメーターとなるのかも知れません。教育の問題は、一般的に、早計な結論は控えるべきだと思いますが、この件では、何種類かのテキストとプログラムを紹介して、「習いに行かずに、まずお母様が子供といっしょにやっていくのがいい」とアドバイスしました。
「習う」ということは、勉強は《誰かに習うもの=自分からはやらなくていいもの》という図式を子供の頃から刷り込むことにもなります。ともすると、「勉強は、お金の対価として人から受けるサービス」となり、「決して自分からはやらないもの」と知らず知らずのうちに教えていることになってしまいます。子供のためによかれと思ってやることが、客観的に見ると、正反対になっていることも少なくありません。
巷には早期教育という名のさまざまなトラップが溢れています。しかし、少なくとも小学3年生頃までは、家庭で、子供と向き合って、勉強がごく自然に、日常的になるように、それが双方にとって楽しいコミニュケーションツールになるようになるのが理想です。将来、子供が自立した勉強をするようになるには、この時期の勉強を介在とした親子関係のあり方が重要だと思います。もちろん父親も含めてです。それが確立してから「習う」ことの選択を考えるべきです。
「教育」がサービス業として爛熟する時代だからこそ、子供にとって何が本当に必要なのかを見極めなければならないと思います。
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