もうずいぶん前になりますが、和菓子「仙太郎」の主人(社長)がこう言っていました。「現代は工場の機械のラインで、限りなく手作りに近いものをつくることができる。それは、本当に見分けがつかない。であれば、ものづくりは結果ではない、結果を追い求めても意味がない。だからものづくりはプロセスそのものなのだ。」と。
このネット時代、疑問に思ったことや知りたいことは、タッチやクリックひとつでwiki や知恵袋…と、すぐに調べられます。テレビやネットが情報を流し込んでくれます。だから、きょうび子供はみんな物知りなのです。たしかに知識は「力」です。しかし安易に獲得した知識、その先に何があるのでしょうか?
映画「舟を編む」は、「時代」に対する優しい警鐘だと思います。もしかすると踏み絵なのかも知れません。「あんなこと」に価値や意味を見出すのか、否か?さらに私には「学校」に対する警鐘とも読めます。学校は、ここ十数年で固定化、硬直化した「進学実績」偏重の結果至上主義から自らを解放し、本質的な教育に軸足を移す段階がやってきていると思います。それは、懐古的なものでなく、知の獲得の新しい方法の確立です。数字化される効率性と数字にできないもの、感性、教養、学問、文化、歴史……を峻別し、融合する、そんなプログラムを創る時代だと思います。
昔、名門だったと揶揄される私立武蔵高校の旧い卒業生は、学校で「知を獲得するプロセス」を学んだといいます。言外に《単なる知識や受験技術は学んでいない》ということでしょう。現在の筑駒と並ぶ進学実績があった時代の話です。今、学校に求めるべきなのは、手間がかかることを、時間をかけてやることではないでしょうか。それは成果主義へと大きく舵を切った学校が、「教育」を取り戻すことだと思います。そしてそれを可能にするのは、私たち親の理解と応援、そして、効率的であるべきものと効率を追求するべきでないものを分けて考える哲学だと思います。
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